本能寺の青い空

 歴史には妙味がある。
 一例として、天正十年六月二日。
 京都本能寺において織田信長が殺された日である。この時に多くの武将の人生観が変わり、価値観が変化し、その後の半生すら変貌せしめた。
 覇者であり抑圧者であった信長は滅した。その信長に羈束(きそく)され続けてきた明智光秀は、暗殺者の道を選択することで心を解放した。
 光秀に限って言えば、前日に見た空と、信長のいない朝の広やかな天の明度は顕かに違っていただろう。その印象は秀吉、家康など他の諸将も同じである。信長が主導する織田政権の息苦しさは並大抵のものではなかった。あるいは勝家くらい無神経であれば、凌ぎやすかったのだろうが、光秀ほど常識的な、あるいは繊細な神経の持ち主ではもたなかった。摂津で反乱を起こした荒木村重も同様だし、あの秀吉ですら晩年の狂気を考えれば、壮年期の抑圧が尋常なものでなかったことが推察できよう。
 多くの英雄豪傑が「信長死す」の報に触れて、心中の核を失ったような不安定さを感じるとともに、強いストレスから解き放たれた安堵感を得たに違いない。

 ほとんどの英雄たちがこの事件(伝達手段の未発達なこの時期では数日程度のタイムラグはあるが)を転機にして従前とは全く違った動き方を始めるのである。信長という強烈なたがが緩んで、桶の板がそれぞれに成長を始めたのである。チャンネルを換えるように歴史の風景が一変するということがあり得るのである。
 これを妙味と言わずして何と言おうか。