瓦礫の山

 シティボーイズ大竹まことさんが、昨今のバラエティーに苦言を呈している。

大竹まこと TBS『THE夜会』に苦言「不安を持ちながら見た」「ここがたどり着いた場所か?」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/74f027a82eb2ef0004ff65cf06d3156a5f535424

  要は、有名人が納豆をどうやって食べるかをタレント達が2班に分かれてベットしたりする番組について「これが長~い間バラエティーやってきて、ここがたどり着いた場所か?」と嘆いていたという。

 大竹さんの言われるとおり、今、ゴールデンタイムにテレビを点けると、タレント・芸人たちがただ単にワイワイガヤガヤ騒いでいるだけという「ひねりのない」「手間をかけない」「安っぽい」番組ばかりになってきた。

 ゴールデンタイムにこんなものを見るほどワシャの人生は暇ではないので、偏りや切り取りは多いがNHKの「ニュース7」を情報の部分だけ聞いている。暑い寒いのニュース、天気予報などは天気図を見れば解るので、まったく見ることはない。その間はネットの情報を確認している。

 午後7時半からはBSで偏向著しいTBSの「報道1930」か、フジの「ニュースTODAY」、「プライムニュース」を視聴する。これも同じで傾聴に値するコメンテーターの話、例えば弁護士の高井康行氏、軍事ジャーナリストの小原凡司氏などリテラシーの高い識者の話はしっかりと拝聴しますよ。でもね、詭弁ばかりの自民党政治屋の話は聞く価値がなく、イデオロギーに染まった立憲・共産党員の話は、新聞「赤旗」でも読めば充分に知ることができるので時間の無駄。だから、その間はネットで情報収集をしている。

「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い」

 昭和32年に社会評論家の大宅壮一が雑誌に書いた論評である。67年前に、大宅壮一は見事に予言していた。令和に入って「一億総白痴化」は見事に完遂されたと言っていい。

 昭和32年には小学生だった大竹さんは、まさに「総白痴化」の豪雨の真っただ中で育ち、長じてはそのテレビ業界に入って半世紀を生きてきた。

 その人が「ここがたどり着いた場所か?」と言ったことには、非情な現実があると思う。

 テレビ報道や新聞に書いてあることを「そうか!そうだったのか」と信じてしまう人は、そもそもメディアリテラシーがないわけですから、一度、テレビを消してみましょう。ネットは玉石混交ですが、テレビや新聞は瓦礫糞尿混交ですから。

円谷英二

 ワシャの好きな言葉のひとつがこれだ。

「他人から『できますか?』と聞かれたらとりあえず『できます』と答えちゃうんだよ、その後で頭が痛くなるくらい考え抜けば大抵のことはできてしまうものなんだ」

 怪獣映画の巨匠円谷英二の発言である。

 この前向きな姿勢、ポジティブな考え方、これが70年前に「ゴジラ」を生み、その後、「ウルトラQ」、「ウルトラマン」で一大怪獣ブームを起こし、ラドンモスラウルトラセブンに引き継がれ、ついに令和の世に「ゴジラ-1.0」を登場させることになる。

 円谷さんかいなければ、昭和以降の子供たちは、怪獣に出会わずに人生を過ごしてしまったかもしれない。

 円谷さんが映画関係者から「できますか?」と問われ、平然と「できますよ」と答えてくれたことに感謝する。円谷さんの「なんとかなるだろう」という適当さがあってこその巨大モンスターゴジラだった。

 ワシャなんか、映画館でゴジラ映画を観た後は、鉄塔を見るのが怖くて怖くて。暗くなり出すとゴジラが出そうで、懸命に家まで走ったものである。

 円谷さんが関わった映画は130を超す。18歳で「天然色活動写真株式会社」に入社し、兵役を挟んで再び映画の世界に飛び込み、現像技師、撮影助手、カメラマン。昭和17年には「ハワイ・マレー沖海戦」を特撮でとっている。そして昭和29年に「ゴジラ」が封切られ、少年少女たちをビビらせまくったのでした。

 その後、「ゴジラの逆襲」、「大怪獣バラン」、東京タワーを初めて壊す「モスラ」、「キングコング対ゴジラ」、「モスラ対ゴジラ」などの特撮監督を経て、昭和41年に放映のTBSの「ウルトラQ」に到達する。この時、円谷さん、65歳だった。昭和のこの時期で65歳というのは高齢者、お爺ちゃんだった。それでも円谷さんは仕事の手を緩めない。「ウルトラマン」を作り、「南海の大決闘」(ゴジラモスラ、エビラ)の特技監督を務める。「ウルトラセブン」では監修をし、最後には「日本海大海戦」の日本連合艦隊バルチック艦隊との死闘を映像に仕上げた。

 もちろん「日本海大海戦」も劇場で観たけれど、その迫力たるや、まさに旗艦三笠に同乗しているような錯覚に陥ったものである。こういった作品があるから映画は映画館で観るに限る。

 この「日本海大海戦」が円谷さんの遺作となった。昭和45年に68歳で逝去。今で考えると実に若い。そして死ぬまでやりたいことをやり通した人生だった。なんでも「できます」と答えて、実際にやってきてしまった方である。そのお陰でワシャらがどれほど恐がり(笑)、楽しませてもらったことか。

 今日、7月5日は円谷英二の誕生日だったのでちょいと触れされてもらいました。ホントは7月7日らしいけど、『偉人たちの誕生日366名言集』(日本地域社会研究所)のほうを使いました(笑)。

日経1面コラムを読んで

 日経新聞の1面コラム「春秋」の6月26日のものである。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK254800V20C24A6000000/

 朝日新聞紙と同じでチラ見せ。でも、ワシャのごたくを聞いていただければ、読むまでのことはございません。

 560字のコラムは4段落に別れている。最初の1段落目は高卒で働いている女性の体験談だ。この部分は上記URLで読める部分だけ引いておく。

《投票所ってこわい。お仕事の前に朝イチで行ったらシーンとしてる。すごく緊張して、誰の名前を書いたらいいかわからなくなって、思わずお母さんに電話しちゃった。そしたら係の人が「電話はだめですよ」って。自分で考えないといけないのはやっぱり難しい――。》

 まず、この120文字の文章に「って」が3カ所ある。これは極めて特徴的だ。

 なぜか。

「投票所って」、「わからなくなって」、「電話はだめですよって」と、少し語尾を伸ばしながら、話を続けるのって、二十年くらい前の若者言葉で流行った。どちらかと言えば知恵の足らない女子がそんな話し方をしていた記憶がある。それをこの書き手(以降は「コラム屋」と言う)は記憶していて、わざわざ持ってきている。

 さらに「して」が2か所、「しちゃった」が1カ所。「って」も含め6カ所も類似語を使用している。創作にしても下手な文章だ。

 コラム屋は2段落目の冒頭で《先日、初めて投票してきた20代女性のこんな体験談を聞いた。》と言っているが、嘘だね(笑)。

 この後ろに続く文章でコラム屋自身が書いているのだが、この女性、高校卒業後数年働いているというから24歳前後。もういっぱしの社会人ですよね。

 ワシャの知っている高卒で働いている24歳くらいの女性は、新聞記者に対して敬語をちゃんと使用できる。それが社会経験というものである。

 この点を見ただけでも、「あ、こいつ話を作りやがったな」と思い当たってしまう。コラムの冒頭は、自身の20年前くらいの体験をベースにした創作なのである。冒頭で、「高卒はこの程度の話し方しかできないバカなんですよ」ということを醸したかったんでしょうね。

 そして2段落目で、書き手はヌケヌケとこう言っている。

《大卒層は政治参加に意欲的だが、高卒層は「政治は難しくて理解できない」と尻込みする。》

 おいおい、バカ言ってんじゃねえぞ。

 ワシャの知っているT君が市議会議員に立候補した時、その事務局を支えていたのは、明確に高卒が多かった。事務局長こそ大卒だったが、副事務局長3人は全員高卒。さらにポスター張りや街宣に付き添ってくれた主力メンバーは地元の有志達で、そりゃ皆高卒だった。T君の大学時代の友人は、陣中見舞いくらいには顔を出したが、実質、選挙活動を支えていたのは高卒の皆さんだった。それもT君のやや保守的な政治信条に共鳴しての支援である。

 おい、日経のヘタレ、どこをどう突けば、高卒層が政治参加に尻込みをしているって言うんだ!どこを見て駄文を書いているのか?

 3段落目に、投票率の大卒と高卒の比率が、全国では4:6、東京に限っていえば、6:4で「東京は大卒が多い」と言いたいらしい。どうも、このコラムの通奏低音は「高卒はバカ、大卒は優秀」というものらしい。でね、3段落目の最後で、「バカな高卒は日本保守党を支持した」というようなことを書いてしまう。あららら。

 日経をはじめ朝日も毎日も、いわゆるマスコミと呼ばれている職種で記者なるものには大卒でなければなれないだろう。そのことがこのコラム屋のベースにはあって、《それでも若者の高卒層と大卒層の断絶は深く、政策でも学歴を考慮する時期かもしれない。》って、あんたバカ?

 実社会に高卒、大卒に断絶などない。ワシャの尊敬する職場の先輩たち、概ねモノがよかったのは高卒の人たちで、ワシャが一番尊敬する上司は地元の高校卒だった。

 もちろん大卒の先輩・上司もいたが、まぁこれが箸にも棒にも掛からないのが多くて困ったものでした。

 大学を出て、新聞記者という一応は胸を張れる職種に就き、嗚呼、それから勉強らしい人生勉強をしてこなかったんだね。

 4段落目も書き散らしているが、いったいこのコラム屋が何を言いたいのかがまったく解らない。

《若い高卒層は日本の課題を最前線で支える》って、お~い、中堅の高卒層も、大卒も院卒も、中卒だってみんなで日本を支えている。

《その苦境は政治に届かない。》

 それはね、東大を三浪早稲田大学ご卒業のキッシ―が政治を知らないからでしょうが!さらに言えば、キッシ―を支える東大卒の財務官僚どもが頭が悪いからに他ならない。

 また今日も長くなってしまったが、これでもまだ1時間程度しかパソコンの前に座っていないのだ。どうしてもバカの論評をすると筆が走ってしまう。

 司馬遼太郎さんがこんなことを言っていたことを思い出した。

「この無謀な戦争(大東亜戦争)を起こしながら、陸軍の高級参謀(陸大卒の「軍刀組」、今でいうところの東大卒「財務官僚」)は、戦闘の敗北を自らの責任とは考えようともせず、現場の人間に腹を切らせた」

 先の大戦の時から、答えの必ずあるテストでは高得点を取れる記憶力秀才、つまり学歴だけはある連中が国家を危うくしているのだ。そのことを知らない新聞紙者がもっともらしいことを書く、これも陸軍高級参謀らと同じ過ちを犯していると言っていい。政治にも、戦争にも、決まった回答などないぞ。そのことを知らない「今軍刀組」が日本を牛耳っていくことの恐ろしさを、この駄文を読んで感じた。

ふざけた活動家、命がけの警備員さん、何もしない警察

 基地外と言っていい普天間飛行場移転工事を妨害する者ども。こいつらの行動がどれほど日本の西海域の防衛を妨害してきたことか。

《死亡の警備員、車道に出た抗議女性を止めようとしたか 辺野古ダンプ事故》

https://www.sankei.com/article/20240628-L42IFIXAUVJ6RCDHHJCMIU3WWM/

 今回も、基地外赤色ババアが道に飛び出すのを、「危険だから」ということで必死に制止した警備員の方が巻き込まれて亡くなった。そもそもバカどもが「牛歩」だの「トラックの下にもぐる」だの妨害活動をしなければ警備員さんの命が失われることはなかった。

 警備員さんのご冥福を祈るとともに、沖縄をはじめ全国に跋扈している左巻き基地外活動家の身勝手な行動、発言に強く抗議をしたい。

 

 それはそれとして車の死角のことである。今回、埋め立て用の土砂を満載したダンプカーが敷地から国道に出る場所で、基地外どもがノロノロと歩いたり、車の前に突然飛び出したりする危険行為で車両を停めていたのだ。

 大きなダンプカーである。当然ながら運転手から確認できるところは目視で注意している。しかし、突然飛び出してくる基地外活動家は、捕捉できないことも充分にある。運転手が確認しているのが普通の人(子供)なら、車両と交差する時の行動は、ある程度読める。だが基地外活動家は普通の人と違う悪意のある動きに出るから始末に負えない。とくに耄碌活動家の動きは読めない。

 今回も一人の基地外活動家がまず飛び出してダンプカーの運転手の注意を引いた。その基地外は避ける格好で左折の行動を起こした時、車両の後方で基地外婆が、突然死角に突っ込んできた。ほぼ自殺行為だ。

 警備員さんは、長年の経験から「運転手の死角に入っている」と咄嗟に察知し、自殺婆を制止した。ところが婆は左ばっかり見ていて全体を把握していないから、脳天気にダンプに突っ込んでいく。老人かいな何かの暇つぶしだと思って妨害活動をしている基地外婆の命を救うために、尊い命が失われた。

 おっと、死角のことだった。

 このところ、車で走っている時とか、駐車場でよく見かけるのだが、車のダッシュボードの上にやたら人形を並べているバカを見かける。これってホントに危険な行動なんだよね。なぜダッシュボードの天場が黒系の暗色なのか?それはフロントガラスに何も映りこまないように配慮されているからに他ならない。フロントガラスは視野が広く設計されているし、少なくとも前方をしっかり見渡せるように設計されている。

 そこに人形などを並べて嬉々としているバカがいる。人形でダッシュボードの上を埋めている危痴害もいる。当然のことなんだが人形の分だけ視野は狭くなる。それにしろっぽい人形だとフロントガラスに反射して。さらにドライバーの認知能力を落とすことになる。要は死角をわざわざテメエで増やしているようなものですわな。

 沖縄の活動家ほど基地外ではないと思うが、こういったバカもそろそろ規制したほうがいいと思うよ。何もやらない沖縄県警、その他の警察の皆さん(蔑)。

能の話

 清貧なワシャから600円を搾取した豊田市のことは措いておく(笑)。

 それよりも「お能」のことである。

 人間国宝の大槻文蔵さんの主宰する会の定例会。随所で人間国宝の謡が聴ける、これはなかなか有難い。

 でもね、能楽堂の458席のうち50席が埋まっていたかどうか。通常のプロの能楽師による「能」ではなく、大槻文蔵師の弟子による仕舞、素謡、舞囃子なので、関心が薄かったのかもしれない。まぁ、本格的な「能」の舞台だとしても満席になるかどうか。昨今(といってもここ何十年の話だが)、簡単な娯楽が巷にあふれ、あえて「能」などという小難しいものに時間を割くことがなくなってきたことも客の少なさに影響しているのだろう。

 一時、「落語」が凋落した時期があったが、小さん、円生、談志などの活躍で、今や古典芸能のトップを走る勢いである。「講談」は「落語」の後塵を拝していたが、神田伯山の登場で最近は陽の当るところにでてきた。

「落語」「講談」、これは一応客が理解できるから人気が再燃してきた。噺家も講談師も現在の日本語を使って語っているからね。

 しかし、「能」の謡(うたい)や「文楽」の義太夫(ぎだゆう)の日本語は難しい。ワシャは「能」にしろ「文楽」にしろ、観る前にあらかじめ物語を読んでおくことにしている。そうすることで意味の取れないフレーズに差し掛かっても、いくつかの単語を拾うことで「あのシーンだな」とあたりをつけて物語をつないでいく。そうするとぼんやりとだが意味不明の日本語でも聴いていて理解できたような気になるから不思議だ。

 今回、素謡では「弱法師(よろぼし)」がよかった。今回、会のプログラムをまったく「能」に興味のない友人からもらったのだが、プログラムを見てワシャが「ほう、よろぼしをやるんだね」と言ったら、「え、何を言っているの?」という困惑の表情をしていた。「よわほうし」「よわぼうし」あるいは「じゃくほうし」としか読めないものね。曲名からしてこれである。その内容に至っては、なかなか理解のできるものではない。それでもね、事前に物語を読んでから行くことにしているから、「月落ちかかる」とか「淡路島山」などという言葉を耳にすると、「あの辺りかな」くらいは想像できる。

 もう一つが「百万」という曲。これを友人が舞囃子で演じた。舞囃子というのは、素面、紋付き袴で、シテ(主人公)が一人で地謡、囃子によって曲のクライマックスを舞う形式。

 これがよかった。友人は長く能楽を学んできた。仕事を退職してからも、今も再雇用で働いている一般の人である。しかし、上手かった。何人かの長老のお弟子がやはり舞囃子を舞ったが、声、姿勢の良さ、足送りの滑らかさが群を抜いていた。

 とくに素面、直面(「ひためん」とも言う)で舞っているのだが、この表情がまさに能面のようで、まことによろしかった。

 能に詳しい白洲正子が『風花抄』(世界文化社)にこう書いている。

《自然は芸術を模倣する。何百年もの間、面をかぶりつづけた能役者の顔は、もはや自然のままではない。一種の能面と化している。》

 白洲さんは「直面は下手なうちは眼のつけ所が決まらない」と言う。友人は能役者ではないけれど、眼のつけ所が決まっており、まさに「深井の面」をつけているように見えるからおもしろい。

 19曲目を舞囃子、仕舞、素謡で聴かせてくれた。日本文化に触れるいい機会だった。テレビで芸人たちが漢字の読みを競っているようなものを見るくらいなら、よほどこちらのほうが意義のある、勉強になるものだと思う。

 だが、現実にはスイッチを押せば、画面に芸人のバカ騒ぎが映し出されて、それを笑っていたほうが、何も考えなくていいということらしく、なかなか能楽堂の席は埋まらないのであった。

「能」「狂言」「文楽」「歌舞伎」「落語」「講談」・・・日本の深~い伝統に根差した芸能だと思うんですがいかがでしょう?

豊田市、大丈夫か(怒)

 昨日、ちょいとした義理で豊田市能楽堂に行っていた。能楽師大槻文蔵さんの主宰する会の定例会があったのだ。19曲目を舞囃子、仕舞、素謡で聴かせてくれた。こちらはとても満足し、今日の日記は格調高く書こうと思っていたのだが、能楽堂のあとが最悪だった。その怒り、豊田市のマヌケな行政に腹が立ったので、いつもどおり格調の低い噺になりそうです。

 まず、豊田市能楽堂、これは豊田市の施設ですよね。能楽堂の下には図書館もある公共施設である。だから利用者は駐車場を使っても、認証すれは3時間まで無料となる。それはそうだろう。図書館に付随した駐車場が有料などというところをワシャは聴いたことがない。この「利用案内」

https://www.library.toyota.aichi.jp/annai/index.html

の「駐車場」のところにこう記載がある。

豊田市中央図書館をご利用の方について、対象駐車場に限り、入庫から3時間までの駐車料金が無料になります。》

 だが昨日は日曜日だったので、きっと利用者が多かったんでしょうね。図書館の駐車場は満車で大渋滞。そしてその周辺の駐車場も満車表示ばかりだった。

 ワシャは比較的、豊田の中心市街地の地理に詳しい。この図書館の南側に市役所があることを知っている。だから閃いた!

「だったら市役所の駐車場を利用しよう」

 能楽堂・図書館の施設からも近いし、ワシャは車をUターンさせて市役所駐車場に向かった。

 市役所の露天駐車場はガラガラだった。雨だったからかなぁ?図書館周辺まで歩いてもたかが知れている。こちらを利用すれば、あんなに渋滞しなくてもすむのにね。

 ワシャは入り口で駐車券を取り、誰も停めていないだだっ広い駐車場に駐車すると傘を差して図書館の建物まで歩いた。

 能楽堂を堪能して、下の図書館に顔を出し、入り口にあった認証機に駐車券を通した。「ピピピピ」と音が鳴り認証してくれない。再度、やったが同じだった。仕方がないので窓口に相談してみると、「市役所の駐車場は管理が違いますので図書館の認証機ではできません」と木で鼻をくくったようなお答え。おおお、豊田市の図書館は指定管理であったわいなぁ。

 それでも木鼻ちゃんは「豊田市中心市街地 駐車場無料サービス」というリーフレットをくれた。それを見ると豊田市駅新豊田駅周辺で15か所もの駐車場が無料対象になっている。にも関わらず、市役所の駐車場は除外されている。バッカじゃねーの!公共の駐車場である市役所駐車場こそ率先して解放し、市民の皆さんに無料で使わせないとダメでしょうが。

 さらにこの距離だと、市役所に停めて図書館に来る人もいるだろう。その人たちは図書館を利用する都度、600円を払わなければいけない。そういう人ってワシャだけではないと思うよ。それに対応するマニュアルを持っていないと。ただ「うちの認証機は使えません」というだけではダメだろう。

 日常的には市役所が開庁しているから、図書館で認証できなくても、ちょっと回り道をして市の窓口、あるいは受付で認証すればいいのだろう。しかし休日はそうはいかない。宿直室まで訪ねていけば認証機はあるのだろうが、そんな手間なことをやってられるか!

 隣の安城市はその点、市民・利用者に親切だ。図書館利用者は市街地にあるスーパーの駐車場、市役所東の市営立体駐車場、駅南の立体駐車場、どれを使っても図書館の認証機で無料になる。さらに市役所に付随する平面駐車場は無料、出入りが自由。

 ワシャは友達の素謡、舞囃子を聞くために能楽堂に行った。それ自体は無料なんですよ。しかし、豊田市は市庁舎の駐車場を有料にして、ワシャから600円もふんだくったのだった。

 こんなもの15カ所の無料駐車場と同様の認証機対応にしておくだけで、駅前の駐車場の渋滞が緩和できるし、なんなら全面開放すれば、駅前の駐車場入り口から始まっている大渋滞を解消できることは目に見えている。

 豊田市役所の仕事のマヌケさを垣間見たしだいである。大豊田市なのだから、遠方から車で中心市街地にやってくる人も多いでしょう。能楽堂だって、旧挙母町の人だけの施設じゃないでしょ。もっと親身に考えて駐車場行政をやりなさいよ。金ばかり持っていても知恵を使わなければ、行政はスムーズには回りませんよ。長期政権になってきた元行政マンの市長さん、長くなり過ぎると、立ち位置が高くなり、現場のことが見えにくくなっているんじゃありませんか?

 高尚に、お能を論じようと思ったのに、むかっ腹が立ったので、先に怒りを吹いておく。

武士(もののふ)に薄く今公卿(いまくぎょう)には厚く

 今朝の朝日新聞の地方版。

《退団相次ぐ消防団 行司・訓練見直しへ》という記事があった。小さい見出しに《常滑 操法の県大会辞退》とある。そうか、常滑は愛知県消防操法大会への出場はしないのか。

 この記事をネットで探したけれど見つからなかったので、これを載せておきます。

《減り続ける消防団員 統合・廃止のいま、求められる役割とは》

https://www.asahi.com/articles/ASQ3J753RQ34UOHB010.html

 この記事は2年以上前のもので、まぁその頃、それ以前から消防団員の確保は難しくなっていたことだけは間違いない。

 新聞の記事を読むと、常滑市は今年、消防団員200人定員を110人まで減らしたんだけど定員を満たさず99人しか団員確保ができていないという。

 ううむ、でもこれって常滑だけの話ではなく、おそらく全国的な問題ですよ。

 

 ワシャはかつて地元の消防団員を7年やっていた。入団する時には「3年でいいから」と言われ、「3年程度なら知らないことを体験するのも面白かろう」ということで意気揚々と入ったんだけどね(笑)。

 まあとにかく消防団には時間を取られた。春先から梅雨前までは「操法訓練」というホースを使った消火訓練を「型どおり」に熟(こな)す訓練を毎晩8時くらいに集合して小学校の校庭や消防署の訓練場で2時間くらいみっちりとやった。その後、地元の飲み屋に集合して「今日の反省」。反省が終わって、ようやく「ご苦労さん」になり、ビールやチューハイで乾杯となる。自宅に帰るのは0時を回るのは当たり前で、たまに激論になると午前3時なんてこともままあった。

 ワシャの町は市街地にあるので、消防団への町内からの支援は薄い。田舎の町では何百万単位で町内補助が出るが、町場では市からの補助金すらピンハネされて15人の団員に対して年間20万円ももらっていただろうか?

 だから毎晩の反省会の飲み代はすべて自腹と言っていい。それでもね、市の操法大会では3年連続優勝を飾り、優勝旗を団詰所に掲げてありまっせ。

 

 あれから歳月が経ち、地域は地域力で守るという意識が薄らいだ。老人にしても、子供にしても、障害者にしても、なにしろ弱者救済に公金がどんどん流れていき、例えば東京都では公金チューチューをやっていた「コラボ」などという如何わしい福祉団体があったよね。

 おそらくそういった左翼・売国系の市民活動には大あまで公金を配ってきたのだが日の丸を掲揚し、敬礼をして、隊列を組んで行進する武人(消防団)には手薄な手当しか与えなかった。これがね、消防団員をやると月に3~5万円になり、年間何十万円かの収入になれば、副業的な感覚でやってくれる若者も増えてくるのではないか?武士も食わなきゃ瘦せ細る。

 常滑で考えれば、定員が200人なら1臆の予算で精鋭の消防団が組織できる。安いものではないか。併せて市議会議員などは全員消防団員にすればいい。

 消防団員には金は出さないが、政治家には金を出している。国会議員の報酬をヨーロッパ並みにしてごらんなさいよ。140億円が浮きまっせ。それで2万8000人もの消防団員に年額50万円の報酬が与えられる。それだけ評価されれば気持ちよく消防活動に勤しむことができますよね。

 こっちは反対にやりたい人ばかりだ。

高市氏、総裁選出馬の意向 推薦人確保が課題》

https://www.asahi.com/articles/DA3S15970887.html

 朝日新聞はけち臭いので、チラッとしか見せてくれないが、全文読んでも大したことは書いていないので、ワシャがまとめますね。要は、高市早苗経済安保相が立候補する考えを関係者に伝えたということ。ただ安倍晋三さんがお亡くなりになられて、保守を装っていたボケ議員どもの旗幟(きし)が鮮明ではなくなった。間違いなく安倍さんの後継者である高市さんが推薦人20人が集まらず立候補できないような状況になったら、それこそ自民党は保守の旗を降ろせ!

 ワシャは言っちゃうけど、安倍さんがお亡くなりになられるまで自民党だった。前回の総裁選の投票ではもちろん「高市早苗」と投票用紙に書いて返送した。

 この選択肢をなくしてしまったら、もう自民党アメリカの民主党と同じ腰抜け政党と言われても仕方あるまい。

 高市さん以外、なにをやりたいのか焦点のはっきりしない盆暗ばかりだが、これほど総理総裁をやりたい人が多いというのは、やっぱ金になるんでしょうね。利権があるんでしょうね。支那からもがっぽり金が入ってくるんでしょうね。高市さんはまったく該当しませんが。

 今候補に挙がっている岸田、石破、河野、小泉、加藤などはみんな世襲議員で、自分の地盤(藩)を守って子々孫々に相続していきたいんでしょう。このお歴々の間延びした顔を見ると、堕落して歌と女にうつつを抜かしていた平安公卿を髣髴(ほうふつ)とさせる。

 武士(もののふ)の高市さん、ぜひとも頑張ってくだされ。