口先ばかりのお公家様

《日本保守党、初の全国的な国政選挙 有本香氏「選択肢増やす」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/cfea4fb7017952d07e276c17ac33e8ce10dae1fd

 日本保守党が新橋駅前で第一声を上げた。でもね、交通渋滞の関係でなかなか選挙七つ道具が新橋まで届かず、選挙街宣ができなかった。そこで、作家の百田尚樹氏は、新橋駅前で日本の歴史講座を始めたのだった。

 これがおもしろかった。なかでも「元寇」のくだりは興味深く拝聴した。ジンギスカンというのはすごい男だったんだね。なにしろ朝鮮半島支那はもちろん、東南アジア、ロシヤ、中東、東ヨーロッパを攻め落とし、大モンゴル帝国を立ち上げた。今の国家からすると支那、ロシヤを筆答に30カ国以上に及んだ。こんな人生を送ったジンギスカンという男はどれほど途方もない人物だったのだろう。

 という話はマクラだった。メインは、その大帝国が唯一陥落させられなかった国家「日本」のことである。

 武家の棟梁である北条家が鎌倉に幕府を構えていた時代、元(モンゴル帝国)の三代目フビライが日本に臣従、属国になるように求めてきた。ユーラシア大陸の大半をその勢力下に治め、そもそも東の海の中にポツンと浮かんでいる日本なんて国はどうでもいいんだけど、属国の高麗あたりもしきりに攻め込もうと進言するんで、フビライも「ちょっと脅しておけ。そうすれば我軍門に下るであろう」と考えて、日本に「属国になりなさい」と通知を出したわけ。

 時の京都公家集団は「それはフビライ様の言われるとおり。すぐに属国になる旨を皇帝様にお伝えしよう」と準備を始めた。ところがそれを知った鎌倉幕府は、漢(おとこ)だったねぇ。

「元の属国になることまかりならぬ。聖徳太子の時代から支那の王朝と日本は対等な付き合いをしてきた」とはねのける。その結果、900艘の軍船に4万人が乗り込んで博多湾に押し寄せた。盆暗公卿どもは何もできず、命を賭して元軍と闘った鎌倉武士のおかげで4万の侵略軍を退却させることができた。

 フビライは7年後、4400艘という史上最大の艦隊を編成し14万の兵員を九州北部に攻め込ませた。これに対しフニャチン公卿は相変わらず「争いしやったらあきません。お上がオムサムササマにならしゃります」とか言って絶対恭順、朝貢外交を願っている(ちなみに「オムサムササマ」とは「軽い病気」という公家言葉)。

 これに対して、鎌倉幕府北条時宗が断固として立ち上がり、世界最大の帝国と五分に渡り合って、結果、玄界灘に追い落している。

 日本国最大の危機が、侍に救われた。

 

 さて、文永、弘安から750年。令和の世にまた大陸からは事々しい嫌がらせが東の海で行われている。フィリピン、台湾、そして日の出ずる国に対して。

 この武力を使った嫌がらせに、公家集団と化した政府、朝貢怠りない自民党公明党、さらに野党公家集団も腰が引けている。750年前と一緒である。しかし放っておけば日本は属国に陥り、いずれチベットウイグル内モンゴルのような有様になっていくことは必定。

 ここは一所のために命を懸けられる武士団に託すしかなく、その選択の機会が今回日本国民に与えられた。さてどういった選択を日本国民がするのか?これは見ものである。

「みずからは、戦のない世界がよいでおじゃりまする」とのたまう腐れ公家か、自らを省みず国のために未来のために一所懸命に働く武士か。

 ワシャは北条得宗家に国運を託したいと思っている。