戦争のできる態勢

 元海上保安官一色正春さんが呟いている。

《よくアレな人たちが「日本を戦争ができる国にするのか~」と吠えていますが、たとえ外交で戦争を阻止するにしても戦争ができる国でないと戦争は止められません。つまり戦争ができない国=侵略される国》

 仰るとおり。

 例えば日本共産党は、公式ツイッターで「いま必要なのは戦争の準備ではなく平和の準備だ」と言っている。そうだよ、そのとおりだよ。日本人、日本国の平和を確かなものにするために戦争のできる国にしておかなければならないのだ。

「喧嘩を売られたら、いつでもお相手しますよ」

 映画でも、アニメでも正義のヒーローのスタンスはこれでしょ。

 長谷川平蔵鬼平)が着流し姿で町をそぞろ歩いている。屋台のオヤジに声をかけたり、お店の前を掃除している少女に笑顔で挨拶したりしてね。

 そこに「キャーッ!」という女の絹を裂くような悲鳴。平蔵の顔つきが厳しく変貌する。やくざ者とゴロツキ浪人どもが、若い女をさらおうとしている。

 平蔵、まだ刀を抜いていない。ただし、両手を広げて、やくざ者らの前に立ちはだかる。

「その女から手を離せ、二度は言わぬぞ」

 その刹那、浪人たちが抜刀し、平蔵に斬りかかってくる。平蔵、抜く手も見せず、粟田口国綱を一閃二閃、浪人どもはばたばたと倒れていく。女の首にドスを突き付けているやくざ者の手は、ぶるぶると震えている。

 憤怒の不動尊のごとき平蔵、国綱の切っ先をやくざ者に向けるとぐっと身構えた。やくざ者はその場に女とドスを投げ捨てて、路地の奥に逃げていくのであった。

 ということでしょ。力を持っているから正義でも平和でも貫ける。能ある鷹は爪を隠す、そして大事な時には爪を顕す。

 無能なアホは爪を捨て、善人しかいない世界を夢想して、お花畑の中で自慰行為にふけっている。そんなことでは国民の生命、財産、領土、領海は守れない。

 あるいは、ヤクザ者とグルであれば「戦う準備をしなくていい」と言うのかもしれない。

 平蔵から国綱を取り上げ、両手両足を縛っておけば、江戸の町はヤクザ者のやりたい放題となる。そのヤクザ者から付け届けでも貰っているのかニャ?

政界媚中派番付

 発売されたばかりの『WiLL』がおもしろい。評論家の白川司氏が「政界媚中派番付」と題したリストを公開している。

 東方は国会議員、横綱山口那津男(公明)、大関河野太郎(自民)、関脇/林芳正(自民)。小結/小沢一郎(立憲)、前頭/二階俊博(自民)、以下十両福島瑞穂(社民)、辻元清美(立憲)、蓮舫(立憲)、林幹雄(自民)、松下新平(自民)。

 西方は地方政治家、横綱小池百合子東京都知事)、大関/吉村洋文(大阪府知事)、関脇/川勝平太静岡県知事)、小結/玉城デニー沖縄県知事)、前頭/鈴木直道(北海道知事)、以下十両/松下玲子(武蔵野市長)、仲川元庸(奈良市長)、大村秀章(愛知県知事)、洞口朋子(杉並区議会議員)となっている。

 概ねどの人も媚中派親中派、出来の悪い政治家ですわな。やはり山口公明党代表は鉄板の媚中派だ。このジジイの発言たるや支那共産党の代弁者と言っていい。ウイグル人権非難決議を流産させたのは、すべてこのジジイの責任である。

 まぁ他の政治屋も似たようなもので、この顔ぶれに日本国を任せているのかと思うと暗澹たる気持ちになる。こういう連中を選び続けるのが、民主主義の宿痾なのだが、といっても支那のように一党独裁というのは最低最悪だから、クソ制度でもやむを得ないか(トホホ)。

 ざっと見て、ひとりだけ「?」を感じた人物がいる。愛知県の大村知事である。この人、他の面々と比べると媚中・親中という枠には入らないのではないだろうか。

 白川氏は、《習近平主席の母校でもある精華大学との包括交流に関する覚書を締結したこと》《「表現の不自由展・その後」で昭和天皇の肖像を燃やして踏みつける動画などを展示することを容認した》の2点を挙げているが、それはあまりにも大村知事を知らないのではないかと思う。

 彼は、媚中・親中というような大それた考えは持っていない。あるのは、極端な「負けず嫌い」のため、自分が一旦実行したことについて「間違いだった」と認めることをしないだけのことである。東大卒などに多い「無謬主義」とでも言えよう。

 それを犬猿の河村名古屋市長に指摘されたものだから、意地になって「展示会」を継続開催したと言うだけのこと。大村知事が皇室憎しでやったことではなく、皇室よりも己れの「無謬」が大切だっただけ。むしろ彼は皇室好きで、選挙中でも東京で開催された皇室関係の行事に参加するためにいそいそと上京しているくらいだからね。

 白川氏の指摘するところは、単純に、目立っていたい、人より上に立ちたい、という子供じみた感情からくるもので、何らの思想的な背景があるわけではない。さらに言えば、極度に憶病であるから、支那利権とか支那美人には絶対に手を出さないのである。このあたりは橋下徹氏とはまったく違う。ゆえに大村知事の媚中・親中のレッテルには疑問を持つものである(笑)。

アンフォーレ落語会

 昨日、安城駅前の図書館「アンフォーレ」で無料の落語会があった。通常年では、二つ目の桂鷹治を中心にして、若手落語家や色物がやってくる。それでもただで江戸の芸能が堪能できるのだから、ありがたいこっちゃ。

 ところが、今回はアンフォーレ5周年ということで、大師匠の瀧川鯉昇が登場した。ううむ・・・無料の落語会で鯉昇師匠が楽しめるとは、安城市、がんばっているのう。

 鯉昇、鷹治以外の出演者は、色物の鏡味味千代、前座で立川幸路となっている。ネタは幸路が「子ほめ」、鷹治が「能狂言」、鯉昇が「二番煎じ」だった。残念ながら、まことにつまらない野暮用で、鯉昇師匠が聴けなかったが、仲間に確認したところ大爆笑だったとのことで、鯉昇師匠を呼んでよかった、よかった。

 

 しかし落語も聴けないような野暮用が入るようではワルシャワの人生も甘いと感じた。呉さんや加藤先生が言っていた精神的な「快楽主義」が重要で、くだらないことをやっている時間はないということに自覚的でなければいけない。

 大反省の一日であった。

総力戦である

 ワシャは以前から「第三次世界大戦」は始まっていると言っていた。そもそもウクライナとロシヤの局地戦争ではなく、自由主義陣営と独裁権威主義陣営の全面戦争だと思っている。

ウクライナへ戦闘機供与か 戦車に続き、紛争激化懸念 欧米諸国》

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6452126

 だから「戦闘機供与」と言われてもまったく驚くに値しない。独裁者たちに屈しないためにはウクライナへの兵器支援は当然のことである。

 

 ほら~、独裁国家仲間が言い出したじゃん(笑)。

北朝鮮の金与正副部長、ウクライナへの米戦車供与を批判》

https://news.yahoo.co.jp/articles/c8809fea2c59f563b4ba0cc40244f790e0f01534

 北朝鮮が言うなら、その反対が正しい。どう見ても、支那、ロシヤ、イラン、北朝鮮など反社国家、悪の枢軸が、お互いをかばいあっているようにしか見えません。

 自由と民主主義(成熟度の差はあるにせよ)を標榜している国々は、反社国家群の横暴、迫害、秩序破壊を断じて許してはならない。だからこそ、自由主義陣営は結束して戦うべきである。

死と向き合う言葉

 タイトルは、呉智英・加藤博子共著『死と向き合う言葉』(KKベストセラーズ)から。

 昨日、いつもの読書会があって、その課題図書がこれだった。思想家で封建主義者で評論家の呉さんと哲学者の加藤さんの珠玉の一冊である。今回はスペシャルゲストにお出でいただいたが、その名前は秘密です(笑)。

 

 本の内容に入る前にまず表紙と帯について触れておく。

https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/852483

 これね。

 センターに縦に「死と向き合う言葉」とあって、その横に「先賢たちの死生観に学ぶ」とある。帯にはお二人の写真があり、その間に「悔いなく死ぬためには、どうすればよいのか?」「今こそ死を語り尽くす」とある。表紙の背景は「鳥獣戯画」の「葬式」の場面となっている。表紙の折込には加藤さんの「あとがき」の一部が抜粋され載っている。

「生きて死を見つめ続ける力を支えるのも言葉、死んでしまうという有限性の克服となるのも言葉であった・・・」

この「あとがき」がいいんですね。「あとがき」なんだけど、先に書いてしまうと、最後のフレーズで思わず「うるっ」ときたのだった。

《やがて呉先生にも死が訪れるだろう。だから今のうちに出来るだけ多くを語っていただこう(中略)やがていつの日か、先生は「じゃ、また!」と言って、颯爽と自転車で、孔子のほうへと走っていってしまうのだろう。その日まで、もっともっと言葉を。》

 ワシャは幸運なことに、呉さんが自転車で「じゃ、また!」と言い、名古屋の街角に走り去るのを何度も目撃している。だからめちゃめちゃ具体的な映像として脳裏に再現された。それはあくまでもご自宅に帰る輪行であり、見送るワシャらも「先生、こけないでね」と笑って手を振っていたものだ。しかし、それが孔子のもとへとなるとこれは辛い・・・と想像してしまったのだった。

 この加藤さんの「あとがき」は、呉さんのことを書いて秀逸である。ワシャの知っている「あとがき」の中でもトップグループに入ってくる。すんばらし~。

 

 ということで、本の内容について簡単に触れると、カミュサン=テグジュペリミヒャエル・エンデニーチェドストエフスキー、釈迦、孔子荘子、イエス平塚らいてう宮澤賢治、ユヴァル・ノア・ハラリ、柳田國男ノヴァーリス小泉八雲上田秋成折口信夫深沢七郎ハイデガー三島由紀夫手塚治虫水木しげる宮崎駿江藤淳西部邁、ポー、大竹晋、岡崎次郎本居宣長荻生徂徠沖田×華カズオ・イシグロ木下恵介ゲーテ小林秀雄シェリー・ケーガン、親鸞、シュタイナー、平敦盛高山彦九郎谷川健一谷崎潤一郎つげ義春橋田壽賀子福沢諭吉プレスリーフランクル法然正宗白鳥マルクスヤスパース山折哲雄ユングオスカー・ワイルドビアズリーなどをネタにして、ご両所が「死生観」を語り尽くすというもの。随所に呉さん、加藤さんの知見が散りばめられ、時には皮肉が出たりして、とても面白いやり取りが繰り広げられている。

 

 これらの先賢たちの言葉が、お二人の会話を追うことでじわりと効いてくる。基本的に弱虫なワシャは「死」を恐れている。「一人称の死」も怖いが、「二人称の死」も恐怖だ。だから曹洞禅を生噛りし、「死」に関する本を何冊か読んでみたが、ワシャの内面で「死生観」なるものが醸成されるようなことはなかった。要は中途半端な人間ということですね。そんなダメ男でも、この本を読んでみると、幾分か救われたような感覚があった。おそらく何度も読み返せば、さらに効能が増すものと思われる。

 

 一つだけ、農婦の木村センの遺書を書いておきたい。

「一人できて 一人でかいる ハナのじよどに まいる うれしさ ミナサン あとわ よロしくたのみます」

 字がまったく書けなかったセンは、死を目前にしたとき、小学校入学を控えた孫娘に字を習って、この遺書を残した。

 この学のない農婦の「死生観」に、ワシャはたどり着くことができるだろうか。

 

 読書会のメンバーも闊達な意見や質問が出て、所要の時間はあっという間に過ぎてしまった。その後、金山まで出て、遅い食事をとったのだが、そこでも「死生観」についての議論がやまなかった。

 久しぶりに有意義な、楽しい会話ができたなぁ。

14年はカッコイイ

今朝の朝日新聞1面。

トヨタ 豊田社長交代 会長就任へ 53歳佐藤氏が昇格》

 朝日はケチなので、こっちを載せておきます。

トヨタ社長に53歳の佐藤恒治氏 豊田章男氏「平穏な年はなかった」》

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6451846

 う~む、さすが豊田章男社長だ。引き際が鮮やかだね。トヨタ自動車のトップとして14年を務めた。もっと長期を目指してもなんら支障はないんだが、若き後継者を立てて身を引いてしまう。

 どこかの首長ではないが、20年もの長期にわたり居続けても、後継者をひとりもつくりだせなかった。それは自らの能力を無意味に高評価しているがゆえであり、できれば6期、7期とさらなる高み(笑)を目指していたからに他ならない。4期16年の間に、優秀な後継を育てておいて、さっさとその人に仕事を委ね、自らは別の視点から行政を支援していく・・・そういった潔さを持たないと格好いいトップにはなれないねぇ。

 大トヨタと小さな自治体という組織の大小ではなく、組織というものはある種の生き物であり、それが健全に発展していくためには、トップの深い思考力が必要だ。

 辞めていくものを責めない、そういう美徳もあろうが、きっちりと何をしなかったかを検証しておくのも、今後の教訓になるのではないか。

 そういったフンギリの悪さが目立つ中、今回のトヨタの社長人事には、感心するばかりである。

 

 今日は「どっちもどっち」という題で話を立てようと思っていたんだけど、朝日新聞で上記のニュースを見た途端に吹っ飛んでしまったわい。あまりに小さい、みみっちい件だったんでね。

 でも、ちょいと触れておきます。

 愛知県知事選挙で、現愛知県知事の大村氏が春日井市で個人演説会を実施した。その時に「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」に反対したグループのメンバーが会場入りして、最前列近くで抗議発言をした。これに驚いた大村氏は、周辺を屈強なSP(かな?)数名で警護し、会場の入口でも怪しい人物については手荷物検査もするように指示が出たという。  まぁこの話は、選挙が終わってからゆっくりと語ることにする。

今日は何の日?

 ワシャの仕事に絡むことを書きたいのだが、ちょっと生々しすぎるのでもう少し時間をおいてからにしよう・・・というより書く気力が湧かない。

 差し障りのないところで、歳時記からひろっておくことにする。 「文化財防火デー」が今日だった。これは昭和24年1月26日の朝、法隆寺金堂の内陣(本堂)から出火し壁画を焼失してしまったことをきっかけにして文化財保護法が制定されたことによる。

 ワシャは若い頃に文化財に関わる仕事をしていたこともあって、この日はけっこう忙しかった。どこの自治体でも・・・というか、意識の高い自治体では、この日に文化財防火訓練を実施している。そういう訓練に参加したことも何度かあったなぁ。

 そうそう、「どうする家康」がらみの話なんだけど、三河一向一揆の拠点となった三河三ケ寺のひとつ上宮寺という真宗系のお寺が矢作川の西岸にあるんですね。そこには家康にまつわる文化財などもろもろあったんだけど、昭和63年に本堂、庫裏が全焼した。この時に多くの文化財が焼かれ、水をくぐって、失われてしまったのだ。もちろん古式ゆかしい建物もなくなってしまった。

 それでもいくつかの仏像、仏具、経典、文献などが焼け残って、それらを拝見する機会に恵まれたのだが、いやはやなんとも残念だった記憶がある。文化財は木造や紙であることが多いし、金属にしても業火の中ではひとたまりもないからね。

 文化財の防火ということがいかに大切か、文化財を後世に残していくことの難しさをひしひしと感じたものである。  自分の近況も含め、「グローバル全体主義」、「ダボス会議の偽善」、「断片化された世界」などを書こうとも思ったが気力が・・・。