山また山の山添村

 なんだか奈良でも喧しい。

《奈良の村議ら6人も「コンパニオン宴会」で抗議電話殺到! 副議長を直撃すると》

https://news.yahoo.co.jp/articles/cd108261e0319e0bab7547d8828e85ee40d93b0e

 12月16日に村議6人が「コンパニオン宴会」をやったんだとさ。愛知県西尾市の「コンパニオン宴会」が明るみに出て大騒ぎになっているので、おそらく村議らのことを快く思っていない側から、チクられたんだね(笑)。

 まぁそもそも「コンパニオン」を呼んで宴会するなんて昭和の臭いがプンプンする。芸妓なら芸もできるが、コンパニオンなど話を合わせるだけで疲れてしまうので、それこそ昭和の時代に宴席に呼んで以来、記憶にもない。

 今回の西尾の件で、「まだコンパニオンなんて存在していたんだ」と認識を新たにしたくらいだわさ。

 ジジイの昭和のセンスはセンスとして、それでも奈良県山添村ですぞ。奈良市から東へ20キロ、名阪自動車道を走るとよく判るけど、すんげー田舎なんですね。西尾市の旧幡豆3町と比べても山の中の寒村といったところなのである。奈良県なんだけど、最寄りの町といえば三重県名張市で、ここですら7万5千人ほどの小さな町。山添には料亭とかないだろうから(あったらご免)、数キロ東の町まで出かけていったんだろう。

 申し訳ないけれど、この昭和のジジイたちが宴会をしたのは名張市である。二階幹事長が銀座のステーキ店で宴席を持つのとは、まったく状況が違う。ザギンですぜ。その周囲に何千万人いるとお思いか?東京である。昨日は884人の感染者が出ている。都心の周辺の県との交流人口を考えれば、ザギンの宴会がどれほどリスクがあるのかは想像に難くない。三重県内の25日11時時点での感染者は11人、四日市市で5人、津市、東員町伊賀市で2人となっている。

 村議のセンスのなさはさて置き、この状況で三重の山の中で宴席を持つことが、全国に報道されるほどのニュースなのかが疑問である。

 人口3300人というから、ワシャの住んでいる町内会程度の人口でしかない。その町内会でもね、理事会が終わると70代の古参理事が「飲みに行こう」と必ず言い出す。町内会事務所から歩いて5分程度のところにあるラーメン屋で、小上がりに7~8人がぎゅうぎゅう詰めになって餃子や回鍋肉をつつきながら一杯やるのが楽しみなんですな。

 感染拡大の第一波の頃に、「飲みに行くぞ」と声が上がり、ワシャが「〇〇さん、今の時期は止めておきましょう」と制止すると、「わかったわかった、お前は来なくていい」と他の老人仲間とともにラーメン屋の方向に消えていった。 次の理事会後からは声も掛けられなくなった。でも、老人たちは毎回、ワシャに悟られないようにラーメン屋に通っていたようだ。

 村議たちの感覚は、その程度ではなかったろうか。確かに、マスコミは「危機だ!危機だ!」と騒いでいる。しかし、人口密集度の高いワシャの町内ですら周辺で感染したという噂は伝わってこない。ましてや三重の山奥である。人に遭うよりも、猪に遭う確率のほうが高いようなところの住民に、都心で働くキャスターや識者たちが大騒ぎしても、どれほどの共感が得られるだろうか。そもそも環境が違うということを前提に考えろよ。同じ物差しで測っては根本を見失いかねない。

 西尾市議にしても、山添村議にしても、センスはない。これははっきりと言えるが、しかし全国ニュースでボコボコに痛めつけられるほどのことだろうか?

 一時、「マスク警察」というバカが蔓延ったが、今度は「宴会」をチェックするというバカな状況になってきたか。

 ワシャは2日前に、名古屋で落語を聴いてから市民会館裏の気の利いた店に友達2人とともに顔を出した。いい店なんだけど、それも落語のはねた後にも関わらず店内はがらんとしていた。店員に「お客が少ないね」と尋ねると、「こういった時期ですから」と苦笑をしていた。ワシャらは玄関で手指消毒と検温をしてもらって、座敷に案内された。そこでもソーシャルディスタンスを図り、さらにワシャの手製のハンディーマスクを各人に渡しての食事会になった。

 これだけやっても、食事をすることも酒を飲むことも責められるとするなら、国はさっさとロックダウンをして、すべての経済活動を停止すればいい。そのためにどれほどの自殺者がでようとね。

 武漢肺炎対策は大切である。しかし、国や自治体は、きっちりと情報を出して、まともな店やまともな客が普通に行動できるように便宜を図るべきだ。その上で、不正なこと、対策をきちんととっていない店や連中には罰を与えていくことが重要だと思う。

 こういった繊細なさじ加減が必要なやり方は、支那や欧米では難しかろうが、日本人ならできると思っている。

 庶民のささやかな楽しみの灯を消さずに、武漢ウイルスを撲滅していく。日本人は世界にそのことを見せていくことができる民族性を持っていると思っている。

大名古屋らくご祭

 昨日、名古屋市民会館で1年ぶりのSWAの落語を聴く。SWAというのは、新作落語の創作集団で、春風亭昇太柳家喬太郎三遊亭白鳥林家彦いちの4人からなる。

 このところ毎年、聴きに来ているのだが、ワシャにはどうも新作は馴染めない。やはり古典がいいんですね。先日、豊橋で聴いた志の輔の「井戸の茶碗」、感動しましたぞ。

 午後6時30分開演。のっけに4人が舞台上に現れて、喬太郎が「今日は古典を聴けると思って来たお客さんはどのくらいいますか?」という問いかけに会場の2割ほどが手を挙げた。これに対して喬太郎は言う。

「芝浜を期待していた方は残念でした。今日は古典はやりません」

 と、きっぱりと言い切る。

 ワシャは端から古典を期待していなかったので「どうぞ」てなもんだ。

 

 ネタは喬太郎が「八月下旬」、昇太が「心をこめて」、彦いちが「泣いたチビ玉」、トリの白鳥が「奥山病院奇譚」と、なんだか期待できないな~(笑)。

 でも、4人のネタの前に《1224日(木)SWAブレンドストーリー「心をこめて」》と記載してあったので、これはなにかが仕掛けられている。そこを楽しみにしておこう。

 

 まず、喬太郎が高座に上がった。話は8月下旬に小学校4年生のケンイチくんが祖父の住む奥山という田舎町まで一人旅をするという噺で、東海道線の車内で人生につかれた女性たちの話を聞くというもの。なにしろ喬太郎の女性は特徴がデフォルメされてある意味怖いくらいの凄みが醸し出される。

 ケンイチくんが田舎町について、迎えに来ていたお父さんと歩いている時に、子供の格好をしたおじいさんを目にする。ジジイのくせに黄色い帽子にランニングシャツ、半ズボン、虫取り網を担いているから異様に目立つ・・・ というような噺。

 昇太は、自分の結婚を彷彿とさせるような夫婦の会話ものを演る。普通の会話をしたい妻と、会話をしたくない夫。夫が妻の求めに応じて話を始めると、城跡の話ばかりをしてしまうところなんかは、城好きの昇太自身なのである。

 彦いちは、チビ玉一座の噺をする。世代交代を図りたい高齢のチビ玉と、まだ代替わりは早いと思っている座長の倅。このやり取りの中で、チビ玉が黄色い帽子、ランニングシャツ、半ズボンの出で立ちをしていることが判明する。

 そして白鳥が「私の話はホラーです」と前置きをして、奥山病院で給食のおばちゃんのヨシエさんが救急車に乗れずに無念の死を遂げ、古い車に乗り移って・・・ここで、すべての前段の噺が収斂していくのであった。

 いやはや、なんとも大仕掛けの落語であることか。おもしろい趣向ではあった。でも、ワシャは古典が好きでヤンス(笑)。

四字熟語

天声人語」くんがまたやってくれた。今朝のである。住友生命が募集した「創作四字熟語」の入賞作を使ってコラムを1本仕込むという、要は他人の褌で相撲を取るというとんでもない手抜きをやらかした。この「手」を恥も外聞もなくよく使う。今朝がまさにそれ(笑)。13個の「創作四字熟語」を引いて、もうそれだけで「」も含めて78文字。「創作四字熟語」の説明で45文字使っているので、何も考えることなく600字中の120字(2割)を埋めてしまった。

 文章の構成もとても楽ちんだ。そもそも2020年の世相を反映した「創作四字熟語」だから、それぞれが連関している。大賞、優秀賞10編のうち9編がコロナ関連である。入選40編も半分以上がコロナネタであった。これに菅新首相の誕生や、「鬼滅の刃」などをからめれば2020年の世相は押さえられる。おそらく13個を選び出し、並べて、あとはそれぞれの「四字熟語」が意味を持っているので、それを丸写しして解説文を加えるだけ。ものの30分とかかるまい。

 仮にも天下の朝日新聞紙なのだから、こんな安易な引用コラムに逃げてはいけない。この程度のコラムならワシャでも40分で書ける。小学生のレベルと言ってもいい。こんな駄文を「教養を高めるために書き写しましょう」と、どの口が言っているのか!

 

 今日は「天声人語」よりもその下の広告がおもしろかった。書籍の広告が8枠並んでいるのだが、右から2つ目が「旬報社」の枠で、2冊の本が宣伝されていた。1冊は『竹中平蔵への退場勧告』・・・「退場勧告」?なんだか記憶にある四字熟語だなぁ。誰かが好んで使うタイトル四字熟語のような・・・と思って小さな小さな著者名を確認すると「笑佐高信」さんであった。やっぱり~(笑)。

 その並びが驚愕の1冊だった。『武健一が語る 大資本はなぜ私たちを恐れるのか』で、推薦者が「笑鎌田慧」「香山リカ」「笑佐高信」のお三方。

「武健一氏」、関西生コン支部委員長で、衆議院辻元清美議員が「おとーちゃん」と慕う活動家というか総会屋のような人でしたっけ?

 ううむ、「佐高信氏」の本はなんの興味もないけれど、「武健一氏」の本は、中身はないと思うけれど、ちょいと読んでみたい。しかし、ヘンな本に1500円も使うのは「側溝金捨」のようなものなので、図書館にリクエストしておこうかなぁ。

 その横が創藝社の枠で『二階俊博 力の源泉』、その左が白揚社で『空気と人類』、そのまた左がブックマン社で『安楽死特区』と並ぶ。

 小さい文字は読みづらいので、大きな文字ばかり追っていくと「二階幹事長、空気を読んで、人類のために、政治的安楽死を」と読んでしまった。

 そしてさらにその左の左が飛鳥新社の『絶望名言』で、ちゃんと四字熟語で締めてくれたのであった。

 朝日新聞が「天声人語」から記事下広告の「絶望名言」まで、実は総合的に演出しているとしたら、これは目を見張るほどの才能と言っていいけれど、そんなことは太陽が西から昇ってもありえない(笑)。

老人と熱海

 先月、所用で熱海市に行った。10年前にはほとんど壊滅状態のようになっていた熱海駅周辺の中心市街地を復活させたキーマンに会うためにである。

 奇跡の熱海の商店街復活を書いた本がある。市来広一郎『熱海の奇跡』(東洋経済)である。そのまんまのタイトルだが、これが事実だからおそれいる。その市来氏に街づくりの経過を聴くことが今回のミッションの主なものだった。市来氏、現在41歳の若き仕掛け人。10年前に彼が熱海にUターンし、ゼロから街の再生に取り組んだ。ワシャが10年ぶりに熱海に来たのは、平日だったけれど、多くの若い人たちが熱海銀座通りを闊歩していた。以前の温泉と宴会の町が大きく変化していた。街に若さと元気がみなぎっている。市来氏が、熱海のターゲットを、コンパニオン目当ての宴会ジジイから、情報発信ツールを使いこなす若者層に切り替えた成果が確実に出ていた。

 市来氏が、地元に戻って、若い仲間を集め、ほんとに小さな事業を立ち上げて、そこから徐々に拡大していき、ついには街の再生にまでつなげる。見事な仕事と言っていい。

 

 いい話のあとはマヌケな話を。

《「問題ない」強気から一転 謝罪会見 愛知・西尾市議ら反省の弁》

https://news.yahoo.co.jp/articles/36186bd8dde01f949f00c6e860c7dbe55129f307

 12月議会が終わって、14人の市議会議員がコンパニオンを呼んで宴会をした。確かに今の武漢ウイルスの拡大状況を見るにつけ、今、やらなければいけなかったのかと言いたくなる。実際にワシャは、この12月に西尾市の関係者との宴会を決めていたが、早々に中止の判断をした。

 それにしても、この件に関しては、突っ込みどころ満載だ。

 まず、78歳の市議の夜の対応がまったくOUTだった。記者が自宅まで来ているのである。まずは「ことは大事になっている」という認識を持たなくてはいけない。

市議「何にも別に悪いことしているわけじゃないもんで・・・」

記者「市民の理解を得られるとお考えですか?」

市議「市民の理解とか別に・・・。『議員だから飲んじゃいかん』とかはないんじゃないの」

 と、マスクもせずに仏頂面をカメラの前に晒して、田舎の爺さん丸出しの三河弁でこうまくし立てた。これを全国放送されれば西尾市の印象は悪くなると思うよ。記者に喧嘩を売っているような口調だ。これではまったくリスク管理がなっていない。まずは謝罪だ。

 まともな市議ならこう言うんじゃないの(笑)。

「(神妙な面持ちで)申し訳ありませんでした。経済対策という思いもあって、感染対策はしっかりやっていたんです。ソーシャルディスタンスもとっていたし、換気も充分考慮して開催したつもりなんですが、やはり考えがいたりませんでした。(頭をひとつ下げる)慰労と情報交換を兼ねて実施したわけですけれども、市民の皆さんが一所懸命にコロナ対策で頑張っておられる時に、軽率な行動であったと深く反省しております。今後は、議員が率先垂範してコロナ対策にまい進してまいりますので、市民の皆さんにはご寛恕いただきたいと思います。どうも申し訳ありませんでした(深々と頭を下げる)」

 間違っても「議員だから飲んじゃいかんのか!」なんて言ってはいけない

 今さら、どうしようもないが、このシナリオで記者の取材を受けていれば火はここまで大きくはならなかっただろう。

 あるいは、せめて市会議員の経営するホテルで開催せず、コンパニオンを頼まず、市長も衆議院議員も呼ばず、身内だけで静かにやればよかったのにね。

 まぁ新聞にでかでかと載っているので名前を出すけれど、「市民クラブ」という会派で懇親会を開いた。会派自体は17人だが、宴会参加者は14人なので3人が欠席をした。漂ってくる噂では、この欠席者がリークしたとも言われているが、その真偽はまったく定かではない。明確に言えることは、17人中13人が65歳以上であり、70代が7人、80代が1人と、かなり高齢化が進んでいる。そもそも西尾市議会では70代以上が11人おられ、かなり高齢化の著しい議会なのだが、この会派だけで8人ということだから、さらに高齢化率の高い老人クラブのような会派だったと言える。

 だから考えようによっては、コロナウイルスに関して言えばかなりリスクの高い集団とも言えるわけで、そういった観点から見ても、爺様たちの軽挙だったと言わざるをえない。

 熱海市は41歳の若者が街を再生し、西尾市は爺様方が全国に恥をまき散らしている。市議会議員なんてわざわざ高齢者がやらなくてもいいわさ。西尾市にも周辺の自治体にも若くて頑張っている議員は数多いる。熱海市のように、若手にしっかりとバトンを渡して、責任も持たせて、年よりは応援団にまわる、これが街づくりの要諦だと思うが、如何かな?

民主主義はこりごり?

 日曜日の朝日新聞「日曜に想う」がおもしろい、というか不愉快だ。お題は、《「民主主義はこりごり」の声が》である。これね。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14737675.html

 ケチだから「チラ見せ」だけよ~ん。「この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます」と注意書きまである。しかし、朝日新聞編集委員の書くク●コラムをなんで金を払ってまで読まなきゃいけないんだ!新聞紙に毎月金を払っているのだって、家族から文句が出ているくらいなんだ。もうそうとうの国民が朝日新聞のいかがわしさに気が付き始めている。ワシャは天邪鬼のへそ曲がりなので、朝日新聞を毎日楽しみにしているけど、世の中はそんなバカばっかりじゃない。いい加減に更生しろよ。

 

 さて「日曜に想う」である。「チラ見せ」のところは写しておく。

《早々と離れかける民心を気にしつつだったか、どこか侘(わ)びしいご機嫌取りに見えた。菅義偉首相がインターネット番組に生出演して「こんにちは。ガースーです」とやった、あの自己紹介である。》

 編集委員、この件を大事のように「失笑や呆れを通り越して批判を呼んだ」と声高に叫ぶが、ビールをルービーと言っているワシャとしては、まったく違和感はなくかった。すでに「日曜に想う」までに1週間以上が経過している。たまたま首相がちょっとおちゃらけて自分のことを、ネット上であだ名されている「ガースー」と言っただけのこと。ここから「民主主義はこりごり」にまでもっていくのはかなり大変だろう・・・と思ったら編集委員、妄想をかってにふくらませて、見事にそっちに誘導していく。さすが、捏造、虚言の朝日新聞だ。

 まず、編集委員菅首相の「ガースー」発言の場面を見て、沖縄に想いを馳せる。辺野古で《反対を続ける人たちはこの「ガースー」をどう聞くだろうか、と》。

 そもそも、辺野古で埋立反対運動をやっているのは、活動家であることは左翼メディア以外では報じられている。ほぼ暴力団まがいの手法を使って埋立の妨害をする連中が、なにを想おうと一般の国民はなんの興味もない。興味があるのは、特定の国家や党派からなにがしかの便宜を図ってもらっている輩だけであろう。

 編集委員、このあと沖縄つながりで前知事の葬儀の話を想う。そこで安倍首相のあいさつを代読している当時の菅官房長官に対し《「帰れ」などと激しい声が飛んだのは記憶にあたらしい》と言う。

 これが反日朝日ではないと、こう思うんですね。

「葬儀の場である。それも運動家たちの協力者としてがんばった知事の葬送の大切な時である。確かに政府への不満はあると思うが、わずかな時間である。チンピラでもあるまいに、その場では静粛にしているべきだろう。しかし、チンピラ以下の活動家は黙っていられないんだよね(嘲)」

 チンピラ以下の朝日新聞の菅攻撃は続く。

《在任中の翁長氏は、沖縄の苦難の歴史への理解を切々と政府に求めた。しかし菅氏から返ってきた言葉は「私は戦後生まれなものですから、歴史を持ち出されたら困りますよ」というものだったという(翁長雄志著「戦う民意」から)。歴史をこのように言う人が総理大臣であることは、覚えておきたいと思う。》

 この文章にも矛盾やら捏造が含まれていますな。翁長氏の本から一方的な情報だけで菅氏を断罪している。菅氏が「戦後生まれですから・・・」と言ったというが、どういった脈絡でその発言が出たのか、あるいは本当にそういった発言があったのか、この変集委員は確認しているのだろうか?そして最後の「覚えておくからな」はヤクザの捨て台詞ですわな。

 このあと話題を「ゴザ暴動」に展開し、当時のゴザ市長の発言を引く。それは沖縄戦で元ゴザ市長が息子3人と母、兄を失ったというもので、「あの頃のことを話した夜は寝にくい」と語っていたそうな。それはそうかもしれない。残念ながらワシャも戦後生まれなので、元ゴザ市長の真の思いにはたどり着けない。

 このフレーズに続けて、元ゴザ市長の言葉を引いている。

「民主主義はこりごりだ」

 この言葉も出典は明示されず、記者が聞いた話だろうか。とすれば前科がぞろぞろとある朝日新聞なので眉に唾をつけたほうがいいかもしれない。嘘ばっかりかもしれないが、編集委員の言を聞こう。

《それは小さな島に苦難を押しつけてやまない、本土の民主主義への失望だった。》

 元ゴザ市長が、寝られないほど「こりごり」しているのは沖縄戦ではないのか?それは全体主義に走った当時の軍部への怒りであり、鉄の暴風で沖縄を攻めた米軍に対してではないのか?

 民主主義を現在の支那が実行している全体主義と対比するならともかくも、日本の民主主義となにを比較して「こりごり」と死者に言わせているだろう。

 支那の横暴をさておいて、日本の民主主義を殊更にあげつらう朝日新聞の狙いはなんなんだろう。

本のゆくえ

 明日、読書会がある。課題図書は、山本七平論語の読み方』(祥伝社)。前回が、やはり山本七平の『人望の研究』(祥伝社)だったので、このところ「山本七平」が流行っている。それはメンバーのパセリ君が推薦しているからで、まぁ山本七平なら外れがない、だから、ワシャも積極的に推したんですけどね。

山本七平」は好んで読んだ著者の一人で、福田恒存曽野綾子の並びに、十数冊の本が並んでいる。

『空気の研究』

『常識の研究』

『「あたりまえ」の研究』

山本七平武田信玄論』

日本人とユダヤ人

『私の中の日本軍』

 などなど。

 

 実は前回の課題図書『人望の研究』の入手に際して、ちょっとしたすったもんだがあった。どうしても『人望の研究』を入手する気が起きないのだ。なぜだかわからない。少なくとも山本七平の棚にはないから、速攻で買うべきなのだが、ワシャの中のなにかが「買うな」と呟く。

「それなら、図書館で借りよう」ということで、図書館で借りて読書会に臨んだ。読んでみれば、まことにいい本で、本は付箋だらけになった。これだけ付箋が貼られると、もう重要な資料である。だから、やはり購入して、付箋を移すべきなのだが、やはり「買うな」という心の声が響いてくる。

「蔵書にあるのか?」と2度ばかり探したのだが『人望の研究』はなかった。

 そして次の『論語の読み方』である。これも心の声は「買うな」だったが、もう心の声ばかりに左右されても仕方がない。探しても見当たらなかったので、とりあえず図書館で探しても単行本はなかった。これはもう思い切って買うしかない。

 ということで、「e-hon」で、注文し、今、しこしこと読んでいるのである。

 今回の読書会のテーマ「論語」は、ワシャは、封建主義者の呉智英先生の直弟子であるからして、論語本はずらりと棚にあるのじゃ。とはいえ直弟子ではあるが、もっとも不出来な弟子なので、偉そうなことはまったく言えませんが(泣)。

 それでも今回の課題図書の中で山本七平さんが多くの引用をしている宮崎市定の『現代語訳 論語』(岩波現代新書)も棚にあるし、呉先生の『現代人の論語』(文春文庫)も揃っていますぞ。定番の、金谷治論語』(岩波文庫)は、文庫版とワイド版で持っている。文庫版は寝室、トイレ、職場にもおいてあるので、計4冊が常に手のとどくところに置いてある。

 それはさておき、ワシャの本棚はすでに許容量を超えている。だから棚には前後に2列で収納せざるをえない。ホントはそのやり方はダメでね、背表紙が見えなくなると本探しに手間がかかるので、やらないほうがいいのだけれど、なにせ狭いスペースに本が詰め込まれているので、仕方がないんですわ(トホホ)。

 でね、昨日、そろそろ課題図書の資料をまとめようと思い立ち、論語の棚の後列を確認していたら、黄色っぽい表紙の本が見えるではあ~りませんか。タイトルは『論語の読み方』?

 おひおひ~、文藝春秋の出版している「山持七平ライブラリー」第10巻が鎮座しているではあ~りませんか。

 第10巻には『論語の読み方』と『人望の研究』が収められている。そしてご丁寧に付箋まで何枚も貼ってあるではないかいな。

 十数年前に買っていたのだ(泣)。そのことをワシャの中のもう一人のワシャは覚えていたんだね。だから「買うな~」と叫び続けていたんだ。要するにワシャの収納術が失敗していたわけで、あまりにも悔しいから、恥をさらしても書いておかないと・・・と思ったわけですねん。

 悔やちー!

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夫婦別姓よりテキーラ

テキーラ女性急死・光本勇介氏「1、2年前からテキーラチャレンジ」で問われる起業家の資質》

https://news.yahoo.co.jp/articles/2686b71877e339cd713e852fe7cad80a88a350f7

 要は、バカが大金を持つとこういうことをやるという典型的な記事だろう。

 ワシャは宴席が好きである。何十年も酒席を主催してきたが、ワシャの宴では「一気呑み」などという下品な余興はぜったいにさせなかった。そんなくだらないことをしなければ盛り上がらない席なら中止したほうがいい。

 それでも、ホントに若い頃に職場の運動系のクラブに入っていた時に、合宿先とか年末の宴会で「一気呑み」が恒常的に行われていた。センスのない席だったので楽しくもなかったが、それでもクラブの序列もあり一番下っ端だったワシャに愚挙を辞めさせる力はなかった。せめてもの抵抗で、ドンブリになみなみと注がれたビールの代わりに、隣に置いてあったドンブリにあらかじめ蕎麦汁を移しておいたものを、いかにもビールらしく飲みほして済ませた。ワシャの周到な準備と演技力の勝利だった(笑)。それに、そんなクソ不味いビールなんか、人に強制されてまで飲めますかってんだ!

 真相は解らないが「テキーラチャレンジ」と称してテキーラボトルを1本空けたら10万円を、バカからお下げ渡しになるんだとさ。バカは「亡くなった女の子からの申し出でやった」ようなことを言っているが、そんなわけはない。

例えば・・・で考えた。ワシャが上司から「10万円やるからテキーラ1本飲み干せ」と言われても果たしてやるだろうか?やらないね。しかし亡くなられたのは20歳のお嬢さんだ。はたしてテキーラの怖さを知っていたかどうか。

 そして事件の起きたような店では、金持ちは絶対者なのである。そこから「テキーラチャレンジ」を「やれ!」と言われて断れる女性従業員が何人いるだろう。

 やらせたほうは、「自分から手を挙げたのだから自己責任だ」というようなことをほざいているが、そんなわけはない。

 苦しそうにテキーラを呑む若い女性の様子を、舌なめずりをしながら見ていたのだろう。直接に支払う10万円ばかりではなく、店に払う金も含めて、「ゼニ」というもっとも下品なモノで女性を雁字搦めにして、飲みたくもない酒を強要する・・・まったくゲスの遊興でゲス。

 

男女共同参画案、閣議決定へ 「夫婦別姓」文言削除でどうなる》

https://news.yahoo.co.jp/articles/9715bfb5616b01fa79f0dfa53e1e67b06db5cd99

夫婦別姓」を強力に推している急先鋒は野田聖子代議士ではあるが、このオバサンの理屈は端から破綻している。「名字で家族の絆をつなげる考えは否定しない。ただ夫婦別姓が選べず結婚できない人たちへのアプローチも、先進国家として必要だ」と強調しているが、仕事や社会活動で旧姓を名乗ることはほぼ認められているし、姓を同じくできないために結婚できない人たちってどれほどいる野田!

 ワシャのごく親しい友人の中にも、男が女の側の姓を名乗っているものがいるけれど、別姓にしなくてもそれでいいわけで、その上で旧姓を使って仕事をすれば事足りる。

これを推し進めようとしている連中はね、実は「夫婦別姓」などどうでもいいんですわ、真の狙いは、日本の家族制度、戸籍制度を混乱させようというのがベースに横たわっている。

日本の制度は、ファミリーネームを導入した形で機能していてまったく問題がない。ファミリーネーム、戸籍、世帯で管理されている状況で、税金も社会福祉も、制度として安定的に確立されている。

「伝統だから守る」ということではない。世帯を単位として健全に機能しているおだやかな日本のシステムを改悪する必要はまったくない・・・ということである。

 野田聖子橋本聖子は、「夫婦別姓」が日本のシステムを壊すという根幹の部分に気がついていない。「私たちは女性の地位向上のために頑張っているのよ」アピールだけのことである。言ってしまえばアホということなのだが(泣)。

 もっと詳しい内容は12月17日の「虎ノ門ニュース」をお聞きいただきたい。「夫婦別姓」を声高に叫ぶバカさ加減に気が付きますよ。

 

こんなマヌケな「夫婦別姓」などを、国会議員が喧々諤々の議論をしている場合かよ。それよりも、店へのわずかな金のやり取りのために、命を落とす女性がいる。成金がたまたま手にした金の使い道もわからないから、夜の街に繰り出して、クソ金で女性を弄ぶことになる。「男女共同参画」とか叫ぶなら、そっちにきっちりかたをつけろっち。