依存症

 ワシャは依存症なのである。それも強度の依存症だ。

 それは「アルコール依存症」でも「ギャンブル依存症」でもニャイのであった。

 ワシャは「ニャンコ先生依存症」なのだった。いつも使っているバッグの中を確認したら、ニャンコ先生が14匹も出てきたのであ~る。机の周りにもワヤなくらいニャンコ先生が棲息している。だからワシャの書庫は本だらけの上に、ニャンコ先生だらけになってしまった。

 最近、やってきたニャンコ先生はこれ。

https://otamart.com/items/11428554/

 ここでは、3666円(送料込)となっている。他の販売サイトでは品切れとなっているのだが、たまたま立ち寄ったブックオフのぬいぐるみコーナーに200円でいたのじゃ。それも新品で(笑)。

 今は『漱石全集』の上にでかい顔をして鎮座しているのだった。

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日本学術会議

 とても分かりやすい。

 

 ワシャら市井に普通に生きるものにとっては「日本学術会議」などどーでもいい話だった。

 しかし、この頭でっかちのグループが反日で、利敵行為に走っているとなると、これは見過ごすわけにはいかぬ。

 このことについて、とても判りやすい。

ラサール石井らも批判 日本学術会議の任命拒否問題が芸能界にもじわり》

https://news.yahoo.co.jp/articles/11aac1df8fea710cadf13356cfe1912ea1bcf1c8

 あのラサール石井がそう言うなら、ラサールの反対側が正解に間違いない。つまり、首相の判断は正しいということである。

 別の芸能人もラサールに引っ張られて声を上げている。

豊原功補、学術会議会員の任命見送り問題に「誰だってオカシイよとなります」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/3ddec6bd9567b964e37fbb0186573a43af9015d3

 豊原功補って、読み方も知らないけれど、もう少し勉強してからツイートした方がいい。しっかりと左傾の刷り込みを受けていての発言ならそれはそれで結構ですがね。

《「一般的日常的には分かりづらいけど、重大なと捉えられる人事介入の問題が、今度は学術会議という強く独立性が重視される機関で起きているようです」とツイート。続けて「今やこのような内容はすぐに周知され疑問や抗議、撤回の声が瞬く間に広がります」とし、「理由の説明もなく、では誰だってオカシイよとなります」》

「重大なと」は、記事をそのまま写しているのでワシャの誤字ではニャイ。

「一般的日常的には分かりづらいけど」って、あなた、全く理解していないのではないのかニャ?

「重大なと捉えられる人事介入の問題」というけれど、あなたの言う「今やこのような内容はすぐに周知され疑問や抗議、撤回の声が瞬く間に広がります」のおかげで、この人事問題の本質が速攻で暴露されつつありますよね。そのあたりまで検証してからのツイッターかニャ?それとも豊原氏の基本的なお考えが共産党とかラサールと同じということなのでしょうか。

 

 学術会議の胡散臭さで顕かになっているところを列記しておく。

〇任命拒否が判明した東京大学宇野重規教授は「特定秘密保護法」を批判してきた。「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼び掛け人。

 いいですか。「特定秘密保護法」や「安全保障関連法」がなかったら、支那中国が香港を始め、内モンゴル、台湾などに、戦狼外交を仕掛けてきている今、日本は脆弱なままでしたよね。これに大声で反対していたのが、今回、任命されなかった学者たちなのである。とにかく経歴を見ればこれほど反日に染め上げられたラインナップはなかろう。こういった話も伝わる。

〇2015年に「日本学術会議」は「中国科学技術協会」と覚書を交わしている。相手は軍民融合を進めているにも関わらず、「日本学術会議」は日本の安全保障に関する研究について全面的に反対している。

〇共産系に牛耳られていて、日本学術会議が安全保障研究に反対するのは当たり前との声も多い。

 つまり税金を使った左傾(ドリーマー)集団であり、要は「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」にゴミを持ち込んだ連中と同根である。「芸術」の名を騙るか、「学術」の名を騙るかの違いですな。

日本学術会議は、支那の軍事研究「千人計画」に積極的に協力したことが判明している。

 日本国内では「学者が軍事に関わってはいけない」と叫んでいながら、支那の軍事研究には協力しているって、完全に狂っているとしかいいようがない。

 

 昨日の朝日新聞の記事である。

《学術会議人事四日市でデモ 任命拒否の撤回求め》

 ネットでは記事が見つからなかったので書き写す。

《安保法制廃止などを訴えてきた市民団体「戦争させない・憲法壊すな!よっかいち市民ネット」が呼びかけた。》って、字面を見るだけでも、いかがわしいでしょ。

「日本に民主主義を守るための抵抗戦争させない」、「支那共産党に有利な憲法壊すな」、「よっかいちプロ市民ネット」。ワシャにはそう読める。

 こういう反日の団体、人間がネットの発達でたちまち炙り出されるようになったことは善哉善哉。 

媚中派の策動

 自民党二階派の河村元官房長官の決起大会に二階幹事長以下20人もの派閥議員が現われたんだとさ。

《他派閥鞍替えにピリピリ二階派 除名ちらつかせる》

https://news.yahoo.co.jp/articles/8f139da61cac2849ce30e21cc633bfa1bf7f5f88

 河村氏、日韓議連の会長かなんかをやっているんですよね。それであちこちに腰砕けの対応ばかりしているのはバレバレ。10期目で来月には78歳になるし、もうロートルだから次は出なくてもいいよね。背広の襟にも議員バッチの他に4つも付けまくっている。あちこちに気を配った結果なのだろうが、こういったセンスのなさが昭和の政治屋なんだよね。そして止めは二階パンダ派に所属しているということ。

参議院から鞍替えをして林芳正氏が山口3区から出馬するというなら、彼はまだ50代だし、切れ味も河村氏よりはるかにいいから、この際、禅譲すればいい。まぁ政治屋には無理だろうけど。

 親分の二階氏は《「売られたけんかという言葉がある。挑んでくるなら受けて立たざるを得ない」と語気を強めた。さらに「きょうは党の幹事長としての立場でも来ている」とし、自身の発言の重さを強調した。》

「俺様は幹事長だ。俺様にケンカを売って来るなら覚悟はできているんだろうな、半沢~」

 って、完全に箕部幹事長じゃん。そしてこうも言っている。

《「定数1の選挙区に公認候補は1名だということは子どもでも分かること。党の公認は現職優先で進めたい」》

 党の権力者の理屈だけで、候補を決めていく。高齢者であろうが、親朝鮮であろうが、無能であろうが、自分のところにすり寄ってくる陣笠をかわいがる。そして自分の派閥が最優先で、そこに国民の視点はない。

 さらに言えば、和歌山3区から、自分の息子を代議士にするまでは政界に居座るつもりだ。

 この男の中に、国家・国民というものはない。すべてが「私」に塗れている。

 

 1週間前に、ジャーナリストの古森義久さんが媚中派に対してこう言っておられる。

「二階幹事長はなぜ中国となかよくするべきか政策論を語らない。中国の政策で日本に有害なことを止めてくれと一言も言わない」

 そのとおりである。

 もう、箕部幹事長のような幹事長はいらない!自派閥のジジイを推すっていうのも、支那のためなんだよねぇ。「私」ばかりの政治屋さん。

待ってました!

 昨日、「錦秋御園座歌舞伎」の初日だった。支那発の武漢ウイルスのせいで、どれほど迷惑を被ったか(怒)。

 ワシャは歌舞伎好きの、能好きの、落語好きなのである。そういった舞台ものがすべて休演となってしまったぞ。武漢肺炎発生の当初に、そのことを隠蔽した支那共産党、習隠蔽には必ず責任を取らせなければいけない。

 

 そんな無粋な話題は止めておこう。

 それよりも、久々の名古屋で歌舞伎だ。今回は試験公演といった色合いもあるのだろう。規模としてはまことに小さい公演となった。看板としては「尾上菊之助」のみである。そして若手で「尾上右近」と「中村萬太郎」が脇を固める。これだけです。

 演目は「地唄舞」の「鐘ケ岬」。要は舞踊ですね。これを菊之助が舞う。そして「歌舞伎のみかた」という、解説の舞台をはさんで、トリが「連獅子」。これも舞踊中心の舞踊劇である。親獅子を菊之助が、仔獅子を右近と萬太郎が交互に務める。

 午後4時に始まって、6時には終わっていた。あっという間の舞台だったが、それでも、初日の初回ということもあって、客席は半分だったが、菊之助も、右近も、萬太郎も、エネルギー全開の大舞台となった。後厄をこえて、菊之助は大きくなったわいなぁ。鶴田浩二の孫(右近)も、成長してきたぞい。28歳で、父親の清元延寿大夫のDNAも交り合って、なかなかイケメンですぞ。声もいいし、これからが楽しみな歌舞伎俳優ですね。時蔵の次男の萬太郎も、右近に比べるとやや小柄ながら頑張っている。仔獅子の毛振りは、完全に菊之助を上回っておりました。

 ワシャ的には、久々の長唄連中は、快感でした。ついつい体がリズムを取り出してしまう。三味線、太鼓、大鼓、小鼓、笛、そして長唄・・・つまりこれは邦楽のオーケストラなのだ。いやー、このサウンドを体が求めていたんですね。

 

 歌舞伎のあと、御園座の裏で食事を兼ねてちょいと一杯。午後6時15分には、店の真ん中に座っていたね。2階建ての居酒屋なんだけど、客はワシャら3人だけ。見事なまでのソーシャルディスタンス。1時間半ほどそこにいたんだけど、帰りしなに2組ほどが入ってきたくらいで、こりゃなかなか厳しいですなぁ。でも、フグ刺しも牡蠣も美味しかったのであった。満足満足。

 

 それはそれとして、「いい加減にしておけよな」という出来事が、御園座歌舞伎の前にあった。自宅を出て最寄りのJR駅に行ったんですわ。ところがどっこい、行ってみたら列車のダイヤは乱れに乱れて、ワシャが予定していた14時台の快速が運休になっている。普通電車も遅れに遅れて、上りなんか2時間近い遅れである。

 それがこれだ。

《「孫が娘を刺した」と通報…46歳女性が包丁で刺され死亡 高1の甥が犯行後に線路に飛び込み自殺か》

https://news.yahoo.co.jp/articles/8e41015bca18aa5d7e7d88ec26009190a9895a38

 高1のバカがJRに飛び込んで死にやがった。

 ワシャはまったくこういうバカには1ミリも同情をしない。このバカがどういう状況だったかなんて、何の興味もないわさ。でもね、死ぬにしても人様に迷惑をかけずに死ねよ。

 このバカのせいで、ワシャを含めてどれほどの人に迷惑をかけていることか。おそらく大垣から豊橋の間で数時間にわたってダイヤが混乱した。単位としては「万人」の人に迷惑をかけている。そういうことに思いがいかないバカだから、人も殺すし、電車にも飛び込むのだろう。

 

 それから蛇足を付け加えておくと、被害にあった女性の説明があるんだけど、ちょっとニュースを引きます。

《警察が駆けつけたところ、稲垣さんの次女の妹真さん(46)が包丁で胸を複数回刺されて倒れていて、その後病院で死亡しました。》

 稲垣さんというのが世帯主であるらしい。その次女の・・・ふむふむ次女の妹の真さん(46)か・・・次女の妹なら三女か?

 と思って読み進めていると、

《通報からおよそ20分後、現場近くのJR東海道線の線路に人が飛び込み、列車にはねられる死亡事故があり、服装などから妹真さんの高校1年生の甥(16)とみられるということです。》

「服装などから」に続き「妹真さん」とあるからは「妹の真さん」ではなく、「妹真」というのが被害者の名前らしい。

 まった被害者を貶めようなどという思いはまったくありません。ただ「妹真」が読めないのです。

「いもま」?「いもしん」?「まいしん」?「まいま」?

 他で確認したら「まいま」さんでした。ちょっと名前で混乱したというどうでもいい話でした。

反日プロパガンダを擁護するもの

「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」が、反日プロパガンダに染め上げられていることは、常識的な判断のできる人なら理解していることであろう。

 大村知事が「憲法21条違反である」と息巻いていたが、もうそれは底が見えていて、憲法21条の前にある憲法12条「自由及び権利の保持責任と濫用禁止」のことを、大村知事はまったく無視しているというか、忘れていたのかニャ?

《この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。》

 大村知事の発言は、月刊『Hanadaセレクション 大村知事リコール!』にしっかり掲載されている。これを読めば、河村名古屋市長に対する、大村知事の言動は明らかに間違っている。

「私はですね、非常に疑問があります。憲法二十一条違反の疑いが非常に濃厚ではないかというふうに思います。シーシー」

 憲法12条を読んでね(笑)。

 

 もう少し踏み込んで話をしたい。「表現の不自由展」が津田大介なる反日活動家の作為によって組み立てられた。展示物を見れば――ほとんど見た方はいないと思いますが――実は、ワシャも見ていないのだけれど――それでも、テレビ映像や、ネット動画、『Hanadaセレクション』のグラビアなどで、うかがい知ることができる。

 反日活動家の中垣某の持ち込んだものは、どう眺めてもゴミ以外の何ものにも見えない。「芸術だ」と言ったら芸術になるなら、ワシャの落書きなんかみんな「芸術」になっちまいますぞ。それでいいのか「芸術」って。

「平和の少女像」は、そのまんま反日プロパガンダの「慰安婦像」じゃねえか!

 大浦某の「昭和天皇の写真」をコラージュした貼り絵のようなものがあるのだけれど、なんだか適当にいろんな絵や図をゴチャゴチャと張り付けただけのもの。ゴチャゴチャ以外にオリジナリティーはない。ピカソ岡本太郎から受ける芸術の香りはまったく存在せず、マスターベーションの生臭さがただようばかりなり。確かに、反天皇反日プロパガンダは強烈なほどに感じるけどね。

 

 そのことは芸術監督の津田氏自身が「ニコニコ生放送」でも、思わず口を滑らせている。この人、ホントに軽率だ。黙っていりゃあいいものを(笑)。

「公立美術館で撤去されたものを、表現の不自由展という展覧会という体にして、全部展示してやるというそういう企画で、おそらくみんな気がついていないんだけど、これが一番ヤバい企画になるんですよ。おそらく政治的には」

 これに対し対談者が「やっぱり天皇が燃えたりしているんですか」と問うと、津田は「ああ、ふふふ」と笑って、「でも、二代前じゃん。二代前になると、人々の記憶もなんか、あんま二代前だし、なんか歴史上の人物かな、みたいな」とにやけながら嘯いている。

 これほど重要なところを隠蔽して展示会の補助金をせしめている。これは確信犯である。

 

 さらにこれらが「反日プロパガンダ」であるという決定的な裏付けとして、日本共産党愛知県委員会が、「大村知事リコール反対運動に関するQ&A」というサイトを立ち上げ、大村知事の全面擁護に回ったということである。

 これについては作家の門田隆将さんがこう指摘している。

共産党は日本人のための政党として生まれてませんから。コミンテルンの日本支部として生まれたものですから、日本人あるいは日本人の命、日本人の誇り、こういったものはどうでもいいんだということがこの(Q&Aの)文言からもわかりますよね」

 自民党県連も共産党愛知委員会と同列に立って、大村知事を支援しているが、おいおい、大丈夫かい。自由と民主主義を貴ぶ、天皇陛下を尊崇する政党が、共産党スクラムを組むって、お前ら、コミンテルンの毒を盛られたか。

 

 本家の大陸の共産党は、内モンゴル自治区において、民族の言語であるモンゴル語を禁じ、漢人の話す言語を使用するよう強権が発動された。これに対して、内モンゴル自治区のモンゴル人はもとより、モンゴル国のモンゴル人を始め全世界のモンゴル人が怒りを顕わにした。

 モンゴル人、モンゴル語モンゴル帝国は、ユーラシアを治めた誇り高き民族のものである。チンギス・ハーンはモンゴルの大英雄なのだ。

 ところが支那共産党は、「チンギス・ハーンは中国人の英雄あるヨ」と世界に喧伝を始めている。

 何という歴史捏造、何という民族冒涜、本物を本物のまま守っていこうという歴史に対する尊崇の念がない連中には、共産主義思想というのは、便利な思想なのである。共産主義は20世紀に全世界に蔓延し1億人の善良な人類を殺した。それは、戦争での被害者をはるかに上回るスケールである。賢明な人や国はそのことに気がついて、大方のところで共産主義は終焉を迎えたが、日本では若干の変異をしつつ、根強く生き残っているのである。

 

 つまり、国費・県費を掠め取り反日活動家に資金援助をした津田大介を、大村知事が支援する。さらにその知事を共産党が下支えをするという図式になっている。これでいいのかと高須先生は声を上げているわけで、しかし、大村県政のおこぼれに預かっている連中は、署名をさせないように相互監視をしてリコール運動妨害にまわる。

 

 愛知県、これでいいのだろうか。

歴史観

 ワシャが「歴史」が好きなことは、皆さん、気づかれていますよね。それは何と言っても司馬遼太郎の影響が大なのでした。

 司馬さんのエッセイに「私の小説作法」というものがある。そこには司馬さんの歴史の見方が書いてあって、要するに「俯瞰」をして歴史を見るということを言っておられる。

《ビルから、下をながめている。平素、住みなれた町でもまるでちがった地理風景にみえ、そのなかを小さな車が、小さな人が通ってゆく。そんな視点の物理的高さを、私はこのんでいる。つまり、一人の人間をみるとき、私は階段をのぼって行って屋上に出、その上からあらためてのぞきこんでその人を見る。おなじ水平面でその人を見るより、別なおもしろさがある。》

 これが司馬さんの歴史を見る時の「俯瞰法」であり、これは歴史ばかりではなく、日常にも役に立る手法なのであった。例えば、人と接する時にも、ちょっと視点を変えて、その人を見ると実に立体的に見えてくる。これは慣れてくると、人物観察のいい方法で、ワシャもときおりよく判らない人物に遭遇すると使っているのである。

 

 この間、一冊の文庫を求めた。磯田道史『殿様の通信簿』(新潮文庫)である。単行本の『殿様の通信簿』(朝日新聞社)は持っている。だから、買う必要はなさそうだが、実は買わなければいけないんですね(笑)。文庫版には「文庫版あとがき」というものがあって、それは単行本では絶対に読めないからであった。

 この「文庫版あとがき」にこんなフレーズがあった。

《大名家というのは、驚くほど、記録がある。だから、よほど古い時代であっても、人間の世代的な変移を、まるで試験管のなかの生き物のように観察できる。》

 まさに司馬さんのいう「ビルから見下ろす」と同様のことを、磯田さんは「試験管のなかを観察する」と表現をしている。

 歴史を客観的に正しく評価できる人というのは、結果として同じ手法を使って歴史を読み込んでいるんだなぁ。

 

 磯田さんはさらにこう言っている。

《人というものは不思議なもので、自分のことばかり考えているうちは、自分のことはわからない。いったん、自分のことを離れて、他人の人生をも凝視する心の余裕をもつと、存外に、時分のことがわかってくる。》

《大名が好んだ能楽の言葉をかりれば「離見の見」(りけんのけん)ということであろうか。世阿弥は、わが眼でもって見ることを「我見」といい、おのれから離れて、自分の後ろ姿を見るような視点を「離見」とよんだ。自分の後姿を感じとる「離見」のもてぬうちは、洗練された舞は舞えない、といった。この客観的な視点がなければ、舞の姿は俗なままであるという。》

 ううむ、深いのう。

 政治家にしろ、経営者にしろ、部局の長にしろ、責任のあるポジションにいるものは、この「離見の離」、「俯瞰」ができないやつは、無能の烙印を押されてもしかたあるまい。

 現在、まさにこれが出来ていないのが、国際的には「習近平」であり「中国共産党」であろう。そして国内では「二階俊博」ですね。彼らの舞の、俗なことと言ったら・・・歴史観のなさと言ったら、絶望的ですな。 

ニオイふぇちぃ

 竹内結子さんのことである。

 ワシャの日記には、平成17年5月に初めて出てくる。

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/20050511/

 そこには、テレビを買った経緯が書いてあるんだけど、ワシャはテレビはいらない派で、しかし買ってしまった言い訳として《スイッチを入れると画面は格段にクリアで、竹内結子なんかめちゃめちゃ綺麗に映っている。竹内の微笑みに脆くも一大決心は崩れ去った。》と、竹内さんのせいにしていたのじゃ。

 その次が平成1811月。

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/20061103/

《祝!離婚 竹内&中村》と題した日記。

 この時は、中村獅童さんとの離婚をネタに書いたんですね。《際立って端整な顔立ちで白磁の人形のような透明感のあるタレント》と言っている。タレントではないです。女優でした。間違いなく。

 ワシャはジンビーが好きなので、ついつい獅童さんとの離婚を喜んでしまっているところが浅はかだった。

 その後も3回ほど出てくるのだが、まぁジンビーの代名詞として使っていることが多く、あまり竹内結子さん自身を取り上げていることは少ない。

 

 そして、竹内さんの訃報であった。あえて取り上げるほど熱心なファンでもなかった。もちろんチャーミングな美人であることは間違いないので、注目をしていたことは確かである。とはいっても、では竹内さんの出演した映画を欠かさず観ているか、というとそうでもなく、出演したテレビドラマを真剣に観たか、というとそうでもない。

 どちらかというと、演技をしている竹内さんよりも読書家の彼女、文章を書く彼女に興味があったのだ。

『ニオイふぇちぃ』(ぴあ)

『ニオイふぇちぃ②カロリーオフ』(ぴあ)

 彼女の著作である。これがおもしろかった。おもしろかったので、『ニオイふぇちぃ』は2冊も買ってしまったのじゃ(泣)。

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 この中に《なるべく上手に生きのびて 達者で暮していてくれアディオス》と題されたエッセイがある。

 カリフラワーの株についていた青虫を、夜の帳に紛れて、近所の植え込みに放った話を書いている。その虫たちが成長し、また子供を産んで、彼らが羽ばたいていく姿を見ながら、「ああ、いい虫生(人生)だったよ有り難うと言葉を残し、輪廻という大きな輪の中に還るのだろうか」と、思うのではないか・・・と、勝手な妄想をふくらませている。

 竹内さん、とても素敵な女性だと思います。こんな可愛らしい文章が書けるんですから。

 本日発売の週刊誌などでは、竹内さんの死の真相を、憶測をたくましくして掻き立てるのでしょうが、そんなことはどーでもいい。

 素敵な女優が亡くなられた。そのご冥福を祈りつつ、彼女が書き残したものをあらためて読み直したい。そう思っている。