歴史観

 ワシャが「歴史」が好きなことは、皆さん、気づかれていますよね。それは何と言っても司馬遼太郎の影響が大なのでした。

 司馬さんのエッセイに「私の小説作法」というものがある。そこには司馬さんの歴史の見方が書いてあって、要するに「俯瞰」をして歴史を見るということを言っておられる。

《ビルから、下をながめている。平素、住みなれた町でもまるでちがった地理風景にみえ、そのなかを小さな車が、小さな人が通ってゆく。そんな視点の物理的高さを、私はこのんでいる。つまり、一人の人間をみるとき、私は階段をのぼって行って屋上に出、その上からあらためてのぞきこんでその人を見る。おなじ水平面でその人を見るより、別なおもしろさがある。》

 これが司馬さんの歴史を見る時の「俯瞰法」であり、これは歴史ばかりではなく、日常にも役に立る手法なのであった。例えば、人と接する時にも、ちょっと視点を変えて、その人を見ると実に立体的に見えてくる。これは慣れてくると、人物観察のいい方法で、ワシャもときおりよく判らない人物に遭遇すると使っているのである。

 

 この間、一冊の文庫を求めた。磯田道史『殿様の通信簿』(新潮文庫)である。単行本の『殿様の通信簿』(朝日新聞社)は持っている。だから、買う必要はなさそうだが、実は買わなければいけないんですね(笑)。文庫版には「文庫版あとがき」というものがあって、それは単行本では絶対に読めないからであった。

 この「文庫版あとがき」にこんなフレーズがあった。

《大名家というのは、驚くほど、記録がある。だから、よほど古い時代であっても、人間の世代的な変移を、まるで試験管のなかの生き物のように観察できる。》

 まさに司馬さんのいう「ビルから見下ろす」と同様のことを、磯田さんは「試験管のなかを観察する」と表現をしている。

 歴史を客観的に正しく評価できる人というのは、結果として同じ手法を使って歴史を読み込んでいるんだなぁ。

 

 磯田さんはさらにこう言っている。

《人というものは不思議なもので、自分のことばかり考えているうちは、自分のことはわからない。いったん、自分のことを離れて、他人の人生をも凝視する心の余裕をもつと、存外に、時分のことがわかってくる。》

《大名が好んだ能楽の言葉をかりれば「離見の見」(りけんのけん)ということであろうか。世阿弥は、わが眼でもって見ることを「我見」といい、おのれから離れて、自分の後ろ姿を見るような視点を「離見」とよんだ。自分の後姿を感じとる「離見」のもてぬうちは、洗練された舞は舞えない、といった。この客観的な視点がなければ、舞の姿は俗なままであるという。》

 ううむ、深いのう。

 政治家にしろ、経営者にしろ、部局の長にしろ、責任のあるポジションにいるものは、この「離見の離」、「俯瞰」ができないやつは、無能の烙印を押されてもしかたあるまい。

 現在、まさにこれが出来ていないのが、国際的には「習近平」であり「中国共産党」であろう。そして国内では「二階俊博」ですね。彼らの舞の、俗なことと言ったら・・・歴史観のなさと言ったら、絶望的ですな。