道の先にて

 昨日、凸凹商事からの帰り道に自転車道でこれを見つけた。

 5㎝ほどのトカゲのようなものが死んでいた。それがなぜか気になって、200mほど走ってから、また戻って撮ったものである。

 トカゲにしては尻尾が短いし、全体にずんぐりしている。じっくりみればヤモリだった。指を見ると小さな吸盤が付いているのがわかるでしょ。ヤモリ、「守宮」とも「家守」とも書く。主として家屋やその周辺に住み昆虫を捕食する。だからときおり我が家のガラスに引っ付いていたりもするんだが、用水沿いの草っ原を走る自転車道で往生しているとは。どこかの家からここまで旅をしてきて、ここで命が尽きたか。とにかくヤモリ、自転車道の地下道の先で生を終えていた。

 頭から尾の先までが5㎝くらいだから、まだ若造のヤモリである。こいつをつくづくと見ていて『福翁百話』の一説を思い出していた。福澤諭吉が説く「蛆虫の覚悟」である。

「人生は一場の座興である。だがこの一度の人生を戯(たわむれ)とせず、真面目に勤め、富楽に志し、自から安泰を求め、わずか五十、七十の寿命も与えられた長い時間だと思って、父母に尽くし、夫婦親しみ、子や孫を慈しみ、生涯一点の過失もないように心掛ける。これこそ蛆虫の本分である」

 ヤモリと蛆虫では、図体から機能から脳から何から何までスケールが違う。ヤモリを見降ろすワシャとヤモリだって霊長類の人間と小型爬虫類だから、雲と泥ほどの差があろう。しかし11月27日の日記

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/2025/11/27/082708

にも書いたけれど、宇宙のスケール、時間から考えればワシャもヤモリも蛆虫も大差ないものである。

 でも人間だから、一生を一場の座興とはせずに、過失は諭吉さんより多いかもしれないが、まじめに過ごしていかなければ・・・。

 てなことをヤモリと見ながら考えていた。暇人ですかね(笑)。