百田尚樹さんがこんなことを言っていた。
《だいたい優等生というのはある意味、すごいアホなんですよ。言われたことをスーと受け取るんですよ。おかしいんちゃうか?ちょっとへんなんちゃうか?というのは優等生になれへんからね。優等生というのは、言われたことをスーと受け取る機械みたいな人間なんですよ。そういうのが勉強できて東大に入って、官僚試験に通ってね、文科省とか外務省とか財務省にはいるんですよ。》
だから日本がおかしくなっていると言っている。百田さんだと、説得力がないかもしれないから(笑)、ノーベル賞を受賞した本庶祐さんに登場してもらおう。
受賞後の記者会見でこんな質問が飛んだ。
「将来、研究者の道に進む夢を見る子供たちに、どんなことを伝えたいか?」
これに対して本庶さんはこう答えた。
《研究者になるにあたって大事なのは「知りたい」と思うこと、「不思議だな」と思う心を大切にすること、教科書に書いてあることを信じないこと、常に疑いを持って「本当はどうなっているのだろう」と。自分の目で、ものを見る。そして納得する。そこまで諦めない。そういう小中学生に、研究の道を志してほしいと思います。》
「教科書に書いてあることを信じないこと」
このアドバイスは、優等生には受け入れられない発言だろう。まず、受験というのは、教科書に書いてあることを疑わず丸暗記することが、最善だからである。本庶さんは、暗に「言われたことをスーッと受け取ってしまうような優等生は研究者に来るな」と言っている。
山尾志桜里、豊田真由子、福島瑞穂、鳩山由紀夫、前川喜平、おっぱい揉んでいい?次官、宮澤喜一、加藤紘一……ううむ、東大卒のバカは枚挙に暇がない。
宮澤喜一には疑問を呈される方もいるかもしれない。
「総理大臣に大蔵大臣を2回もやっているのだから、東大卒と言ってもバカではないだろう」
ワシャも昔はそう思っていた。でもね、ワシャの尊敬する司馬遼太郎が宮澤喜一と交流があって、その上で「ありゃアホですな」と言っている。そして若かりし頃から宮澤喜一を知っている白洲正子も「あの人は阿呆ね」と言って憚らなかった。
ワシャは己のバカを棚に上げて東大卒を批判しているのではない。ただ、2〜3の例外を除いて、ワシャが尊敬して止まない人、傍目に一流と見える人、生き方に覚悟のある人は、ことごとく東京大学ではなかった。
こちとらの頭が悪いのは百も承知だい。それでもね、頭が悪くたって、少し見ていれば、相手が阿呆かどうか、一流かどうか、覚悟があるかないかは解っちまうんだ。
元「週刊朝日」の編集長が『学があってもバカはバカ』(WAC)という本を上梓している。その冒頭に女子校御三家の「雙葉学園」の教師の話としてこんなことを書いている。
《雙葉は名門と言われるだけあって、いわゆるエリート家庭の子供が多い。先生は、そういう家庭のご主人が何かにつけて学をひけらかし、へ理屈の多い口舌の徒であることを、実例を挙げて語った。そういう人間の相手をすることにうんざりしているようで、「学があってもバカはバカです」と切り捨てたのである。》
この「学があってもバカはバカ」を著者の川村二郎氏が「学バカ」と略して使っていた。タイトルはそこから採っている。別のことを期待した方には申し訳ないことをした(笑)。