マロニエとどっこいどっこい

 相変わらず朝日の編集委員の書くコラムはつまらない。今朝の「日曜に想う」というコラムは朝日お得意の物故ネタだ。もってきたのは仙谷由人氏と園田博之氏。書き出しに《明日は平成最後の大みそかである。物故者と共に時代の終わりがしのばれる。》と大上段に構えた割には、繰り出したのは小手先を突っついた程度の登場人物だった。
《(日曜に想う)自省と覚悟、2人の問い今も 編集委員・曽我豪》
https://www.asahi.com/articles/DA3S13832954.html
 デジタル版では、途中までしか読めないけれど、別段、登録までして読むほどの内容じゃない。2人の物故政治家を並べたが、大半が仙谷氏の事歴に関わることである。まぁ地味な園田氏には書くネタになるようなことが薄かった。要は文章構成のおさまりを整えるために無理筋で園田氏を入れこんだから仕方がない。
 編集委員は仙谷氏を持ち上げる。《仙谷氏はよく「あと10年早く政治家になり、あと10センチ背が郄かったら首相候補だったさ」と周りを笑わせた。のみ込んだ言葉は多々あったろうが、菅氏ら同輩を立て枝野幸男氏ら後輩に道を譲った》と。
 違うな。世の中には一番上に立ちたくない人というものがある。例えば、知事ではなく副知事、市長ではなく副市長といったポジションを好む人種は必ずいる。前面に立つことを嫌い、楯となることを厭う人たちである。いるでしょ、あなたの周りにも(笑)。ワシャが見るかぎり仙谷氏はそういう人だった。策士、参謀を気取りたい人だった。10年早く生まれても性格が変わらないかぎり首相にはならない。そういう人なのである。
 菅氏を首相にし、枝野氏に後進を譲ったのだって、自分が矢面に立つのが面倒くさかっただけのこと。
 編集委員は、現在の政治状況を引き合いに出してきて、こう言う。
《だが与党にいま、自省と自己改革の努力があるか。野党にいま、政権担当能力を磨く覚悟があるか。2人の問いはなお現実政治の中に生きている。》
 生きてないって。
 存在感のなかった園田氏がなんらかの問いを掲げていたとしても政治家で存在感の無さは致命傷だからね。ご苦労様としかいいようがない。
 仙谷氏は……「自省と自己改革の努力」はしなかった。「政権担当能力を磨く覚悟」も見事になかった人である。いまのどこに2人の問いが生きているのかニャ?

 今、韓国軍の軍艦が能登半島の鼻先で自衛隊機にレーダー照射を仕掛けるという暴挙に出たのも、仙谷氏が尖閣諸島での衝突事故をもみ消そうとした姑息な政治判断が遠因となっている。「遠因」はちょっと表現があまいな……主たる要因になっている。仙谷氏のやったこの「腰抜け外交」その後の日本にどれほどの影響を与えてきたことか。
 物故者を持ち上げるのもいいけれど、きっちりと事歴を分析して正確なことを書きたまえ。

 それから思い切り蛇足なんですけど、コラム中に総務官僚の名前が出てきた。編集委員が実名を挙げているので、ワシャも実名にする。「総務官僚から自治大学校の校長に転じていた岡本全勝氏」、この人が仙谷氏と縁があるらしい。
 東日本大震災の時点で、岡本氏は自治大学校の校長の職にあった。震災を受けて、復興庁ができ、その事務次官に仙谷氏が引っ張った。コラムは言う。《岡本氏はその事務次官になって仙谷氏の思いを受け継いでいく。》
 嗚呼、このオッサンが復興庁の事務次官だったから東北の復興が遅れたのか(納得)。仙谷氏、人を見る目もなかった。
 岡本氏については、公務員の友人のTさんやMさんから情報を得ている。自治大学校の校長だった時に、なにしろいらぬ口出しをして、生徒たちの快適な寮生活を迫害してきた歴代校長の中でももっともバカだったらしい。ゴミ箱の隅をほじるような(重箱なんていいものではない)姑息なトップだった。ある意味で東條英機タイプかなぁ。単なる真面目秀才君で人格に幅がない男だった。
それがね、自治大学校の寮の各フロアにある冷蔵庫の使用を禁止しやあがった。おかげでどれほどの寮生に不便を強いたことか。夏の暑い盛りにさ、冷蔵庫が使えない、そんなバカな話がありますかってんだ。食いもの飲み物の恨みは恐ろしいぞよ。
 
 ここに登場した仙谷氏、岡本氏も東京大学の秀才君である。東大バカリストに入れておかなくっちゃ。

 ちなみに今日のタイトルは「日曜に想う」の元書き手であったマロニエ冨永こと冨永格氏に敬意を表してつけました(笑)。
マロニエ」で日記検索していただくといろいろ出てきます。