壬生の荒夷

 タイトルの「荒夷(あらえびす)」は、「都の人が野蛮な東国人を指していった言葉、荒々しい田舎武士」ということで、メンバー全員が愛知県で生まれ、在住しているからまさに「野蛮な東国人」ですが、「荒夷」ではないかなぁ。

 昨日の日記で使った「東夷」は「東国武士の無骨さをあざけった呼称」。では「東夷」と「荒夷」で何が違うかというと、京都に来たばっかりの近藤や土方は単なる田舎者の「東夷」で、そこから実力をつけていって、洛中洛外にその名を轟かせた近藤局長以下の新選組が「荒夷」ということだろう。

 

 さて、島原から北に上がって間もなく、前方に一丈はあろうかという白壁が見えてくる。そこが壬生寺である。南門から境内に入って、本堂へのお参りもそこそこに売店に向かう。その奥にお目当ての近藤勇がいるのである。

 売店の北側の築山(壬生塚)に近藤局長の胸像が立っていて、この近藤さんがよく似ているんですね。近藤の右手を見てワシャ(私)は驚いた。塚を降りたところに土方歳三の胸像が立っているのだ。後で聞けば、今年の7月に立ったそうである。ありゃま。

 総髪の若き歳三が結った後ろ髪を風に任せている。ううむ、写真のジャッキー・チェン似の土方よりも、少しイケメンかなぁ。そこでも通りかかった若いアベックにシャッターを押してもらって記念写真を撮った。

 名残惜しかったが、土方に別れを告げて、阿弥陀堂地下の歴史資料室を見学し、敷地の東にある表門を出て、北に坊城通りを100mたらずで、壬生屯所(八木邸)になる。

 

 八木邸の受け付けは、長屋門の手前にある菓子屋である。そこの店員さんに「見せて」というと、「今、係がものがおへんのどす。次は午後0時40分からのご案内になるんどす」と、ドスドスいったかどうかは定かではないが、現在11時30分なので、1時間も待たなければいけない。こりゃ時間の無駄だ。では、昼食をとってからということになり、八木邸の東にある蕎麦屋に当たりをつけていたのだが、そこが月曜定休だった。仕方がないので、四条通りまで出て、洋食屋を見つけてそこで昼食をいただだく。これが当たりだった。他のメンバーは定食を頼んだのだが、ワシャは表にも宣伝がしてあったオムライスにした。これが美味かった。ワシャらの後から、常連らしき紳士が2人、別々に入店し、それぞれがオムライスを注文する。なるほど、ここはオムライスが売りだったんですね。でも、飢えたオオカミのようなメンバーたちは盛りだくさんの定食に舌鼓を打っていたのでした。因みにこのお店です。

「昭和の洋食 弥生」

https://kyo-soku.com/2019/01/17/yayoi/

 けっこう隠れた名店のようですね。ラッキーでした。

 昼食と一緒に適量のビールもいただき、上機嫌で再び八木邸に向かい、午後0時40分の案内に間に合ったのでした。

 

 そこでまた、土方の前でシャッターを押してもらった若いカップルに会ったのでした。もう二度目なので、友達のように話ができるんですね。メンバーはいろいろ根掘り葉掘り身辺調査をしていましたぞ。でね、2人が遠距離交際をしていて、彼女が北海道、彼氏が東京に住んでいて、今回は休みを使って京都旅行に来ているんだそうです。

 この回が20人くらいの団体になっていて、八木邸の座敷に上がって説明を受けるんだけど、椅子は7つくらいしか用意されていなかった。ワシャは前のほうにいたので座れないこともなかったが、後ろからカップルの2人が来たので、彼女のほうに席を譲った。ワシャは新選組の隊士よろしく、胡坐をかいて案内人の話を聞く。八木邸は何度目かだし、話の内容は知っていることばかり。でも、まぁメンバーが楽しんでくれればいいから、座禅を組んでいた。

 解説のお爺さんの案内で、一行は次の間に移動する。そこの鴨居に芹沢暗殺の時の刀傷と文机がある。これがメインの展示なんだけど、ワシャは混み合うのもなんだからと、次の間に行かず、その座敷から出、長屋門のあたりで仲間の戻ってくるのを待った。

 ここからまたおもしろい出会いがあるのだが、今日も時間となりました~。ということで、この続きは明日のココロだ~。

(京都人の密かな味 その2)