「アイヌ」という差別 その2

 昨日の続き。

バンキシャ!」のデマのナレーションは続いている。

「本土から来た和人によって言葉や文化を否定され、狩りをしていた山も一方的に取り上げられた。しかし4年前にアイヌの人々を先住民族と明記した法律が成立し、差別禁止が盛り込まれた」

 でました~。天下のデマ法、アイヌ新法。アイヌ利権公金チューチュースキーム。

 

 どれほど日本国民の税金が不正に使われてきたか・・・はこちらをどうぞ。

https://netlabo.biz/ainu-giwaku

 この話になると、また脇道に入ってしまうので止めておきますね。

 アイヌ猟師と称する人は言う。

「本当なら毒を塗った矢を使う伝統的な狩猟法ができればいいんですけど」に続けて「もともと先祖が自由にいろんなものを獲って暮らしていたんだから、伝承する場が欲しいと思う」

 おいおい、弓矢でどれほどの獲物が仕留められると思っているのかニャ?絶対に狩猟だけでは食ってはいけず、その食えない分は「公金チューチュー」かい!

バンキシャ!」のナレーションはこうフォローする。

「(アイヌ猟師)〇〇さんのまわりにも実際にアイヌの猟を経験した人はいないが、お年寄りたちに話を聞きながら、自分なりにアイヌの猟を模索している」

 おいおいお~い、経験者がいないんでしょ。お年寄りと言っても、戦争以降に成人した人たちでは、さすがに本格的なアイヌの狩猟は知らない。知らない人から何を聞こうというのか?「自分なりの模索」って、結局、40歳の猟師の自己流のやり方ということになってしまう。それじゃぁアイヌ文化の伝承にならないよね。

 この人が若い衆2人と撮影クルーを連れて雪山に猟へ出かけた。山に入る前には何やらそれらしい儀式があるようで、雪の中に祭壇のようなものをこしらえて、祭壇の前に今風の派手な防寒具、絶対にアイヌの狩猟民が着ていないものをまとった猟師がひざまずく。

アペフチカムイ(火の神様)、シランパカムイ(森の神様)」

 おお、アイヌ語で神に呼びかけている。でもアイヌ語はここまで。あとは日本語だった。

「今日はこれからたくさんの人と山に入ります。どうか今日、山に入ることの無事を願いお祈り申し上げます」

 やるなら全部、アイヌ語でやってよね。アイヌ語の弁論大会もあるくらいだから、それくらいのお勉強はしてからアイヌを語ろうよ。

 そして儀式としてお祓いを始めた。左手にワンカップ酒を持ち・・・え、アイヌがワンカップを儀式に使うの?そのガラスの中の液体を真剣な表情であたりにヘラのような木片を使って撒いている。

 ありゃりゃ、アイヌの山に入る神聖な儀式ですよね。そこはガラスなんていう今のモノを使うんではなく、きっちりとアイヌ文化で使われた器をでやってくれ。毒矢は禁止されたが、こういった大事な儀式に関連するものにはアイヌ伝統の器があるのだろうから、そこはきっちりと検証してから儀式を務めたほうがいい。

「毒矢」など、禁止されたところをクローズアップして「文化の伝承が必要だ」と叫ぶだけでなく、細かいところからきっちりやろうよ。言葉も道具も中途半端なんだよね。

 この適当な儀式の後、40歳の猟師と、アイヌの血を引く今どきの若者2人が山に入るんだけど、撮影クルーのほかにも外部の同行者がいた。

バンキシャ!」ナレーションは言う。

「〇〇さんを応援し、同じく独自の狩猟文化をもつ東北地方のマタギと呼ばれるハンターたちも集まった」

 マタギの皆さんって、本土から来た和人で、アイヌの狩猟文化とはまったく関りがないですよね。その人たちとアイヌの猟師が混在して猟をするって、アイヌの伝承文化を壊す行為じゃないの?

 マタギって完全なる日本の伝統的な狩猟民で、北は青森から南は新潟までの広いエリアで狩猟に従事していた。本土の和人の文化でっせ。それを「同じく独自の狩猟文化」にしちゃっていいの?「ウポポイ」以降、すべてが適当だ。

 さらに笑えるのが、「今日の猟で狙うのはエゾ鹿とウサギ」ということでアイヌの猟師が狩りを始めるんだけど、見つけたのは鹿の足跡だけで、遠くで鹿が笑っていた。

 結局、獲物を得たのは和人マタギ衆で、鹿の肉も皮もみんなマタギ衆が手に入れた。昨日今日、じいさま、ばあさまに聞いたくらいの狩猟文化では野ネズミもとれなかったということ。

 アイヌ猟師を称する〇〇さんが鹿の皮を剝いていたが、これも「バンキシャ!」のやらせではないかと思っている。マタギ衆がある程度のところまで剥いで、途中から代わってもらったのではないか。

 今回の猟では、2日間で6頭の鹿を仕留めた。マタギ衆がね。

 なぜそう言えるかというと、もしアイヌ猟師が仕留めたなら、撮影クルーがくっ付いていたんだから、大喜びで映像をモノにして、大威張りで放送するよね(笑)。その映像がないことがボウズの証明と言える。

 

 でも、自分は獲らなかったけど、もっともらしい儀式は執り行う。獲物の霊を神様に返すために、また〇〇さんが祈りを始めた。

 あ!今度は漆塗りのような器を使っているじゃん。ちょっとは進歩したかと思ったが、漆塗りって本土の文化ですよね。まぁ和人がアイヌに漆塗りの道具を持ち込んでいたというから必ずしも外れているわけではないが、アイヌ文化というなら木器とか、相応しい道具があるのではないか?これもアイヌ文化が一旦途切れてしまっているので、やむを得ないのかもしれない。

 猟のあと、公民館かどこかの部屋で、みんなで焼き肉を食べていた。くつろいでいる男は、大半がマタギの衆で、顔立ちもよくある和人顔だった。

 アイヌの猟師と称する人が言う。

「狩猟文化というのはすたれつつあるかもしてないけど、それをもうちょっと盛り立てていこうかという気になるしね」

 ここで2人のアイヌの血を引く若者に声を掛ける。

「だからおまえら、若いの、やっていこうぜ」

繰り返すが、マタギの狩猟文化とアイヌのそれは違う。マタギ衆のいる中で「狩猟文化」とまとめてしまうのはいかがなものか。実際、彼らの実力は2日間で6頭のエゾ鹿を獲っている。マタギについて言えばすたれつつない。

 

 この中途半端なアイヌ猟師を称する40歳の映像を見て、「ああ、やっぱりこれが現代のアイヌなんだな」と確信した。