婉なる哉故山

「えんなるかなこざん」と読む。この後ろに「独坐して宇宙を談ず(どくざしてうちゅうをだんず)」と続く。司馬遼太郎が46歳の時に、知人の新聞記者が大阪の会社を辞めて故郷の高知に戻るとき贈った色紙に書いた言葉である。これね。

https://tosacho.com/owariniatatte/

「婉なる哉」なんて言葉が出てきますか?それも46歳で・・・。司馬さんの深遠なる知識の大海と比べると、同じ歳のワシャは干からびかかった古井戸の底で惰眠をむさぼるカエルようなものだった(泣)。

「婉」って普段使いませんよ。せいぜい「美しき哉」とか「素晴らしき哉」とかで済ませちまう。そこに「婉」をもってくることで「美しさ」も「素晴らしさ」も「秀麗さ」も「穏やかさ」までも表している。

 司馬さんは、贈った方にこう言っている。

「大阪と違うて、土佐の山河はきれいやろ。そんな中で育った自分に返って、ゆっくり各種の思いに浸ったらええよ、という気持ちで書いたんよ」

 この気持ちを「婉なる哉~」の言葉で表現するレベルに達するには、ワシャが70、80の歳になっても無理な話だろう。

 それほど器が違うということなんだけど、そんなことは百も承知なんだが、一回きりの人生でっさかい、そう簡単には諦められまへんで~これが(笑)。

 まさに「日暮れて道遠し」、とはいえまだ薄暗がりでも道は見えている。闇に包まれる前に少しでも道を稼いでおこう・・・遊んでいる暇はない。

 

司馬遼太郎生誕100年