保守紙はまともだ

 今朝の産経新聞がおもしろい。1面と3面をつかい「言葉の力」について論を展開している。

 冒頭はゼレンスキー大統領の「われわれはここにいます。私たちは自分たちの独立と自分たちの国を守っています。ウクライナに栄光あれ」という演説を持ってきている。どこぞの元首長で「命が大切だから一刻も早くキエフから逃げるべき、戦ってはいけない」とほざいたヤツがいたけれど、その言に従っていれば、早い段階でウクライナは侵略国家に蹂躙されていた。「われわれはここにます」と、断固、ウクライナ国内にとどまり続けた大統領の判断が正しかった。さっさと逃げるトップの治める大阪は、ロシヤになってしまうんでしょうね(笑)。

 ゼレンスキー大統領に続いて、エリザベス女王の言葉が出てくる。武漢ウイルス禍で苦しむ英国民に対してのものである。

「数年後に国民のみなさんがこの困難にどう対応したかについて誇りを持てることを望みます」

 女王からそう言われれば国民も頑張りますよね。

 さて、3番目に登場するのが、歴史にその悪名を刻み込んでしまったプーの言葉である。紙面では一例が示されているが、2月以降のプーの発言は、ことごとくが強権独裁に裏打ちされた嘘、デマ、誇張、はったり、脅しだったので、あえて書き出す必要もない。

 そもそも核抑止を図らなければならない世界の5大国であるにも関わらず、核を恫喝の道具に使ってしまった。その醜く下品な言葉の羅列は永遠に人類史に刻まれ、人類の恥として語り継がれていく。そんなことも判らないほど権力ボケしてしまったのかプー。

《人をつないだ言葉は、ときに人を離反させる。》

《言葉は人を強くもする。そして脆くもする。》

 と、産経新聞は言い、《そして》と続ける。

《そして、75年間、一度も顧みられない「言葉」がある。》

 ワシャは、「75年」というところでピーンときましたぞ。やっぱり案の定、日本国憲法のことだった。

 ここでは、国士であった石原慎太郎さんや、評論家の福田恒存さんの言を持ってきて、顧みられない「言葉」を顧みようよ、と説く。もちろん、言葉を大切にしておられた石原さんや福田さんの「言葉」については、20冊以上に及ぶご著書から学ばせていただいた。彼らの「言葉」には強い説得力があり、論旨が一本ピンと張りつめて通っている。

 もちろん朝日新聞を毎日取って、石原さんや福田さんに対抗する左翼だかリベラルだかの論客の論にも目を通しているが、その空疎さたるや、目を覆わんばかりである。例えば佐高信氏、津田大介氏、香山リカ氏とかね。佐高氏の言葉は、ダジャレばっかりで笑えるけれど、中身はスカスカで読後に「時間の無駄だった」と思わざるを得ない。しかし、こんなんでもコアなファンがいるというから面白い。

 佐高評については、作家の日垣隆さんの『正義の味方に御用心! 偽善系』 (文春文庫)に詳しいのでご参考までに。

 おっと、産経新聞の話だった。

 75年間、日本語としてもどうなのかという文法的疑問をもたれている日本国憲法は、全く手つかずのままできてしまった。これも国民性というものなのかもしれないが、これほど頑なな民族はほかにいないだろう。産経新聞は《復活への道筋を展望したい。》と希望を示し、後半は「読書論」へと話題を替えていく。

《低下する読解力への危機感》と題し、読書の必要性、本の大切さを説いている。もちろんワシャは評論家の呉智英さんや、日垣隆さん、コラムニストの勝谷誠彦さんなどの影響を受けているので、本の重要性には一家言持っている。

 そういった意味においては、アイホンの普及により情報の量は急激に増えた結果、《能動性が必要な読書の優先度は下がる》結果となってるのは周知のとおり。そして記事は言う。

《本を読む子供と読まない子供の格差の拡大が危惧される》

 これを解決するためには《公立図書館や書店、地域の連携も不可欠だ》と言う。ううむ、確かにそのとおりなんだけど、それらよりも「親」の読書量が勝負だと思う。父や母、祖父や祖母が圧倒的な読書家だと、子供たちは自然に本を読むようになる。子供を育てるにはまず大人を育てよ、大人を育てるには国家がしっかりしろよ。文法的に間違っている憲法なんざ、さっさと変えればいい。

 そんなことを朝から考えた。