伝説のセミナー

 いささか古い話で恐縮です。

 先日、「大名古屋らくご祭」に行った。それはさほど古い話ではない。その時にその「らくご祭」に誘ってくれた縁が18年ほど前にできたということを思い出したんですね。

 平成15年のことだった。今は体調を崩されて作家活動を控えておられるようだが、日垣隆さんはその当時、新進気鋭の論客として「朝まで生テレビ」に出るわ、朝のワイドショーのコメンテーターとして出演されるわ、ラジオの番組を持たれているわ、著作も量産され、かつメルマガという新たなメディアをつくって広く活動をしておられた。

 その頃のワシャは、悪友に先立たれ、人生初の入院もして、かなり精神的に落ち込んでいた。入院して本を読むくらいしかすることもなかったので、個室だったことをいいことに、家族や友人に本を持ち込んでもらって、かなりの冊数を読んだのであった。その中に、日垣隆偽善系 やつらはヘンだ!』(文藝春秋)があった。これがカルチャーショックとなった。

 以降、日垣さんの書籍を買い漁って読んだ読んだ。今でも書棚4棚くらいは日垣さんの本で埋まっている。同じ本を多いものでは5冊くらい持っているからね(笑)。  そして、有料メルマガを始められたということで、さっそく申し込みをして毎週送られてくるメルマガを楽しみにしていた。

 それが12月に入った頃だったと記憶しているが、明けて1月に東京で「朝までライター・セミナー」というものを実施するという案内があった。

 これは今では伝説になっているが、あくまでも一部でですけどね。かなり強烈な講師陣を招いて「ライターになるために」の講座を16時間ぶっ通しでやるというハチャメチャな企画だった。

 これにワルシャワはピーンときた。それまでの凸凹商事の仕事もそれなりに楽しかった。仕事も、仕事仲間との飲み会も、遊びも、遊び仲間との飲み会も、ボランティアも、ボランティアのメンバーとの飲み会も、その時々は充実していたものである。

 しかし、「なにか足りない」と感じていた・・・というか、ぼんやりと陽炎のようなものを見ていたような。

 昔から本は読んでいた。小学校の頃から作文の成績は校内でもトップクラスで、中学校の時には小説らしきものを担任の国語教師に見てもらったこともある。女子なら文学少女になったのかもしれない。しかし、男子で、それも中学校くらいから元気になってしまい、司馬さんのように図書館で本を読むよりも、隣の中学校に殴り込みに行くようなガキンチョになってしまったんでヤンス。

 中学、高校と司馬さんと同様に図書館にこもって古今東西の知識との出会いをしておけばよかったと・・・実は思っていない。やっぱり中学、高校でハチャメチャやっておいてよかったと確信している。なにせ、体は2つないもんね(笑)。

 でもね、やっぱり「物を書く」ということへのあこがれは払しょくできませんでした。だから社会人なっても駄文を書いては捨てていたんですわ。やはり、中学、高校で書くための基礎体力をつけておかなかったことが響きました(泣)。

 社会人としては、楽しく仕事をしてきた。集団の中でも比較的いいポジションにいられたしね。でも、なんだかすっきりとしなかったんだ。全部、快晴という感じではなく、頭上は青空が広がっているんだけど西の方にちょっとだけ雨雲のようなものがかかっている感じ? それが、この「朝までライター・セミナー」がいい切っ掛けになるのでは、という予感が走り、西の空の黒雲は夕焼けに変った。

 すいません、つまらない話が長くなってしまって・・・。でも、まだ続きますぞ(不敵な笑)。