保守の反撃

 真面目な識者たちが「鑑賞の不自由展」に対し批判の声を上げている。

 芸人のほんこんさん。

《弱者など叩いていません。バカ芸人で宜しいです。史実は一つ 天皇陛下のお御影を焼く 愚かな日本人の墓 被災地を誹謗中傷 は芸術では無いと思います。意見が違うのであれば申し訳ございません。あとそんなにテレビに出てないのでメディアに出すなとツイートご遠慮下さい。生活があるので》

 

 立川しらくさん。

煽り運転の運転手が煽るのが俺の表現だ!路上で下半身をさらけ出すのも表現だ!激辛カレーを教師に食べさせるのも表現だ!殺人も表現だ!戦争も核兵器投下も表現だ!と言い始めたら?世の中めちゃくちゃになります。》

 

 

 大村知事のこの発言。

《河村さんの今日の行動は、右翼団体と称する方々と共同で、事実と異なるプラカードを並べて、ヘイトまがいのスピーチをしたものです。それも、県立美術館の敷地を占拠して。とても、公職者の方がやられることとは思えません。極めて危険な行為です。厳重に抗議します。》

 これに対して、作家の有本香さんがこう反論している。

《河村市長に不当なラベル貼りをしようと躍起になるより自身を省みるほうが先ですよ。いまや貴殿は、公金を使って「ヘイト表現」を推奨する知事、として全国に知られつつある。補助金適正化法違反の疑いもある。いま責められるべきは河村市長ではなく、間違いなく貴殿です。大村愛知県知事殿。》

 

 ジャーナリストの西村幸祐さんも抗議している。

《君の行動は県施設である芸文センターで、サヨク団体に連携する人たちと共同で事実と異なる趣旨で展示作品を並べてヘイト行為を行ったもので、明確な憲法12条違反です。公共施設で排他的かつ閉鎖的な政治的プロパガンダは認められない。日本人に強く謝罪を求めます》

大村秀章知事へ質問。天皇陛下即位礼に韓国政府要人が出席する事に日本で反発があります。7年前の李明白大統領、今年の文国会議長の発言へ、まず韓国の謝罪がなければ即位礼出席などあり得ない。で、まさか大村知事は即位礼に出席しませんよね?恥と知性があれば当然欠席だと期待している》

《テロリストの犯罪予告を〈芸術〉と呼ぶには〈芸術〉はイデオロギーに従属するという古臭い共産主義的観点に依らなければならない。さらに重要なのはこの制作物が芸術か否かという議論と別レベルで、公共性や多くの人に嫌悪や恐怖を与える人権侵害に当たる可能性も高く、公金利用が許されないという事だ》

デマゴーグに地方行政を司る県知事はできない。鑑賞者やメディアを締め出す特殊な閉鎖空間の展覧会に公費を使う。おまけに鑑賞者に全体主義特有の思想教化を受けさす。名古屋は北京か平壌ソ連時代のモスクワか?日本憎悪に〈芸術〉を利用する最悪の扇動者。日本人はファシズム全体主義を許さない。》

 

 国際政治学者の藤井厳喜先生。

《公金支出が問題。ある人に言わせれば「犬のションベン」だって芸術なんだから。それでも芸術だというなら個人の家や朝日新聞のロビーでやればいい。》

《こういう奴らは卑しいよね。権力から金をもらわなければ芸術ができないのか》

 

 

 愛知県出身の経済評論家の渡邉哲也氏。

《芸術利権以外の何ものでもない。大村知事、国際展示場の杮落しで「Kポップ」ばかりを寄せ集めてやっていた。愛知県の郷土芸能に「Kポップ」ってあったか?》

 

 元財務官僚の大学教授の高橋洋一氏。

《今回の問題は手続き論でしかなく、大村知事が総務省に持っていっても門前払いで終わり。愛知県民は住民監査請求や住民訴訟を起こす。会計検査院を入れるのも手かもしれない。「表現の自由」は隠れ蓑で「補助金適正化法」。有体に言えば「嘘ついてインチキで補助金をせしめてはいけない」ということ。根底には「芸術利権」がある。大村さんは「住民監査請求」すら受け付けない。それはおかしい。》

 

 日本国史学会が声明を出した。読みあげているのは田中英道教授。

https://www.youtube.com/watch?v=D3dXcVraEYM

 おそらくはこれが今回の騒動を起こした連中へのとどめになる。

【あいちトリエンナーレ2019における芸術の政治利用に反対する】

 多くの日本人が外国の方々をおもてなしの心で向かい入れ、日本人と外国との方々との大切な親睦を図る国際的な芸術祭である「あいちトリエンナーレ2019」における展示の一部を、主催者の大村秀章愛知県知事と津田大介芸術監督が独断で中止決定をしたことについて、公権力の介入などとして河村たかし名古屋市長を名指しで非難する正統性を欠いた主張が一部マスメディアや学者によって提起されている。

 この問題は表現の自由、政治と芸術といった重要な論点が関わる一方、虚偽あるいは歪曲された情報が国内外に流布されるなど憂慮すべき状態にある。そこで我々はこの問題に関心を持つ専門家の立場から問題の本質を指摘し再発防止のための議論の進化を求めるためこの声明を発する。

 

1、今回の騒動は特定の政治的意図を持った一部の者によって芸術が政治的に利用されたことによって惹起されたものである。国民の税金と努力によって支えられ、国際的にも評価される作家たちの参加を得て、国内外の人々に感動や希望を与えるはずの芸術祭が、一部の者の不当な意図によって傷つけられ、損なわれたことは真に憂慮に堪えない。

2、 中止された展示会の趣旨説明の文書から、当該展示会が特定の視点に立った政治的意図を有するものであることが明らかである。慰安婦像や天皇の動画など問題とされた作品は、「問題の単純化」、「攻撃性」、「侮蔑」など強い政治的イメージを担わされている。反面、その表現は隣国で大量生産された像を持つなど安直さ凡庸であって見るべき芸術性を欠く。そこでは単純な二項対立図式や煽情的な手法への傾きが顕著である。芸術を目的とする展示会であれば、芸術の力がこうした政治の弊を包摂しつつ克服することを目指すべきだが、問題の展示会は逆に政治が芸術を利用して貶めている。

3、中止された展示会は「表現の不自由展」と題されているが、そこでは法律用語としての「表現の自由」と、日常用語としての「自由な表現」とが意図的に混同されている。後者は、豁達で豊かな表現が連想される積極的な意図を持つが、前者は、表現の価値内容を問わない価値中立的な概念である。拙劣な表現であっても保護するのが前者の機能であり、それは表現行為の質を高めるための道具・外殻として作用するがそれ自体は表現の質を保証しない。芸術の表現が追及すべき価値は表現の質そのものであって、外殻に過ぎない表現の自由ではない。展示会の作品は政治的なアピールの実質しか有しないものに芸術の名を冠し、芸術としての表現の質から価値内容を問わない表現の自由という外面の等質特定政治のアピールを流布することを意図している。

4、我々は憲法制度の下では展示会の「作品」の表現であってもそれらを発表すること自体は禁止されていない。しかし公の施設を利用し公金を投じて発表の場を与えることは別の問題である。そこで財政民主主義の観点から、文化芸術の発展に寄与するものであるかどうか問われるが、問題の作品はその資格を欠いている。政治的にアピールの実質しか有しない作品を公金を投じて奨励することはけっして正当化されない。

5、芸術祭の主催者は展示によって騒動がおこることをある程度予想していたとしながら、これに対する適切な対応を怠っている。展示会の中止を決めたのは大村知事と津田芸術監督であるのに、中止決定の場にいない名古屋市長に非があるかのような主張がなされているのは不可解である。慰安婦像をスペインの実業家が購入することになったのは、騒動が商業に利用されたことを示す事実である。こうした一連の事実は脅迫・抗議が殺到したとされることも含め騒動自体が意図的に仕組まれたものではなかったかとの疑念も正当に惹起させる。

 

 最後に国際芸術祭は二項対立や憎悪と言った政治の塀を包摂する高次の普遍的価値を目指すものでなければならない。今回の一連の騒動は一部の者によって芸術が政治に利用されることによって日本国内のみならず国際的にも芸術活動環境を棄損し、文化芸術の価値を傷つけるものである。その責任は芸術祭の主催者にある。我々はこのような事態が二度と繰り返さないためにここで指摘した問題点や芸術監督の選任や中止された展示の企画の経緯が開かれた場で解明されることが必要であると考える。

 

 以上の「声明文」はユーチューブを聴きながら、ワルシャワが全文書き起こしましたぞ(泣)。間違いはご容赦。ネット上で探したんだけれど「声明文」がどこにも見つからなかった。大変だったけど、改めて歪な「表現の不自由展」について再認識ができた。これで終わりだ。