巡り廻って

 菅直人政権で官房長官を務めた仙谷氏の訃報が流れた。
仙谷由人官房長官死去、72歳=民主政権の屋台骨》
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181016-00000062-jij-pol
 この日記で検索してみたら、仙谷由人氏は2009年9月に初出。鳩山内閣の閣僚予想が発表されたので、その一覧を出している。その中に法務大臣のところで仙谷氏の名前があった。実際には行政刷新大臣だったけどね。
 それにしても、《いよいよ鳩山政権の編成が始まった。まず幹事長に小沢一郎を据えたところが胆だ。自民党細田幹事長と並べると重戦車と三輪車ほどの差がある。内閣の顔ぶれ(といってもワシャの勝手な予想)もドン気取りの森の影響をモロに受けた麻生内閣よりも重量級だ。これなら国の舵取りをまかせても自公よりも安定感がある。》なんて書いている。とても恥ずかしい。発足したばかりの民主党政権に期待していたんだね(泣)。 
 それから、2018年1月まで77回も登場してもらった。同時代の政治家の小沢一郎氏が35回だから、これはかなり多い。「仙谷鼠」、「仙谷チューチュー」、「仙谷感冒長官」など、いろいろな呼び名で登場してもらった(謝)。初回を除けばその後はすべて批判であった。
 ご冥福を祈りつつも、ある時期に日本の針路を大きく歪めた政治家として記憶すべきだろう。尖閣諸島沖の支那漁船衝突事故での無責任な対応がその後の支那の強気な態度を生み出してしまった。日本の将来に大きな禍根を残した処理だったと言わざるを得ない。
 仙谷氏は東大時代に左翼思想に罹患し、弁護士になって、その後、政治家を目指すことになる。その後、司馬遼太郎の作品群に触れてから「転向した」と言っているけれど、いやいや一度罹患した「左翼病」から抜け出すのは生半可なことではない。結局、市民活動家で左翼の菅直人と組んで、日本を物理的にも破壊してしまった罪は大きい。
 ただ、民主党という虚名ばかりの風船政党の本質を炙り出したということでは、ごくわずかながら功もあったのかもしれない。
 このあたりの話は、山村明義民主党政権――悪夢と恐怖の3年3ヶ月』(青林堂)に詳しい。それを読んでいて上記の「司馬遼太郎の作品群で転向」を見つけた。

 前述の登場回数77回を調べるために、日記を検索したんですね。その中に2018年1月30日の日記
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20180130/
がヒットした。戦国時代の武将の仙石権兵衛のことを書いた日記なのだが、その中の1カ所を「仙石」ではなく「仙谷」と誤記してしまった。だから、仙谷由人氏とはなにも関係のない「仙谷権兵衛」が紛れ込んできた。
 山村氏の著作で「司馬遼太郎の作品群で転向」のフレーズを見つけたので、仙谷氏が学生運動にまい進していた時期の司馬さんはどんなことを思っていたのだろうと『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮社)を引っ張り出してきて読んでいた。そうしたら巻頭の「威風の服飾」というエッセイで仙石権兵衛が出てくるではあ〜りませんか。
 とっ散らかして本や資料を漁っているのだけれど、ぐるぐると巡り廻って、事項と事項がつながっていくのが楽しい。これが読書の醍醐味でしょうね。