犠牲者

 ミュシャにまだこだわっている。ミュシャに魅入られしか。
「スラヴ叙事詩」の中の「原故郷のスラヴ民族」(610×810cm)
http://www.mucha.jp/slavepopej01.html
 絵の左下に白い衣をまとった二人のスラヴ人(びと)がうずくまっている。その背後には戦闘的なゴート族の戦士たちが、多数、馬をせめて彼らに迫っている。草叢にかくれし二人のスラヴ人にとって死をもたらす騎兵団である。
 このスラヴ人の顔が凄い。眼である。恐怖に見開かれた眼が、真っ直ぐに鑑賞者の視線を捉える。能の「重荷悪尉」(おもにあくじょう)の眼に似ている。
http://hikone-castle-museum.jp/collection/1406.html
「重荷悪尉」は恐れ、不安、嘆き、怒り、恨みから怨霊となったものである。この眼が草叢のスラヴ人と同じなのだ。
 そしてスラヴ人の下顎は、これも能面の「痩女」(やせおんな)であろう。頬の筋肉のやせ衰え、力のない口元、これもまた死に魅入られた悪霊の面である。
 戦禍を被り、その命は風前の灯である。3世紀のサルマティアの平原でも、室町時代の京都でも、70年前の日本でも同様な表情をした人たちがなんとか生き延びようと必死に足搔いていた。殺戮を目的として襲ってくる兵器に普通の生活者はまことに脆弱なのである。この絵はそれも象徴している。

 背後にせまるゴートの騎馬軍団と北朝鮮の核ミサイル……どこが違うのか。