なんかようかい

 妖怪というのは「特定の場所に深く関わっている」のだと、何かの本で読んだことがある。そういえばそうだよね。河童は沼や川の淵に棲んでいる。海坊主は海にしかいない。油すましなどはもっと限定的で、肥後の国天草郡の草越峠にしか現れないのじゃ。
 そうそう、三代目市川猿之助の十八番に「獨道中五十三驛」(ひとりどうちゅうごじゅうさんつぎ)があるのだけれど、この中にも妖怪が出てくる。出現地点は、知立無量寺、そこに巣食う猫の妖怪、つまり化け猫が登場するんですね。この狂言、見どころ満載で、エンターテイメントとして完成されている。それもそのはずで原作は鶴屋南北で、その狂言が長く途絶えていたのを三代目が昭和56年に復活して大当たりをとった。さすが猿之助。この化け猫が三代目の当たり役だった。
 昨日、岡崎市民会館で杮落しの歌舞伎があった。それが四代目猿之助の「獨道中五十三驛」だった。その話はもう少し煮込んでから書きたい。
 妖怪の話である。妖怪の元をたどっていくと土地についた現象に行きつく。鬼太郎が登場してから妖怪はいろいろなところに現われるようになったけれど、それ以前は、そこに行かないと会えないご当地ものというか、地場ものだった。
 だから無量寺の怪猫は無量寺にしか出てはいけなくて、そこに網を張って獲物が紛れ込むのを待っている。

 現在、奇怪な行方不明事件があちこちで起きている。
 大分県では24歳の女性が行き方しれずになっている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161006-00000051-asahi-soci
 青森県では女子高校生が行方がわからない。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20161006-00000045-ann-soci
 神奈川でもこんな活動が始まった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161001-00012382-kana-l14
 これらはもちろん鬼畜のような人間のしたことである。妖怪のせいにしては妖怪に申し訳ない。しかし、むかしからその手の犯罪はあったわけで、それを妖怪、怪異などに例えて、女子供が危険に近づくことを戒めた。
 ワシャは基本的に妖怪を信じている。悪意のある化け物は、普通の人間のような顔をしてすぐそこに潜んでいる。