待ってました!

 三代目市川猿之助の愛弟子である市川右近が「右団次」を襲名する。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160526-00000115-spnannex-ent
 三代目の芸を忠実に継承しているのは右近だと思っているので、「猿之助」の名跡が甥の亀次郎に移ってしまった時は、残念だったなぁ。そして歌舞伎界の外にいた猿之助の息子の香川照之が復帰し「中車」を襲名した折には、「右近はますます脇に回される」と危機感をもった。やっぱり予想どおりで、三代目が健在であれば、準主役級を張れていたのだが、地位が人をつくるというか、なんとなく当代猿之助や中車の陰に隠れてしまって、元祖猿之助一座のファンだった身には少しさみしかった。
 右近の初見は1996年だったか。あるいはその前の公文協だったか、1996年の中日劇場だとしても20年か……。あの頃、右近は32歳だった。若いがなかなかどっしりとした役者だなぁと思ったものである。あの時は「義経千本桜」の「伏見稲荷鳥居前」で源九郎狐を演じていた。次の場面で三代目につなぐ律儀な演技が印象に残っている。
 市川右団次はいい名跡である。初世が幕末から明治の人で、角座の座頭をつとめるなど、中村宗十郎と並び関西歌舞伎の大立者であった。宙乗りや早替りなどのケレンの演技を得意としていた。二世は明治42年に襲名をしているが、やはりケレンが光った役者であった。
 そういったことから考えれば右近の「右団次」襲名はまさに適格といえよう。基本は三代目にしごかれているので、充分に出来上がっている。あとは名前だった。地位が人をつくる。名前が役者を磨く。澤瀉屋にまた大看板が増えた。こうやって平成歌舞伎は復活していくのである。がんばれ。