本は基本的に買うものだと思っている。ワシャは師匠たちからそう教わってきた。でも、サラリーマンの給料ではなかなか手が出ない本もある。ちょいと昔の話だけど、松岡正剛さんが『千夜千冊』全8巻を出版したでしょ。たしか合計で10万円くらいだった。子供に金のかかる時期だったし、躊躇してしまった。
ところが図書館に行ってみると、棚の高いところに8冊ずらっと並んでいるではあ〜りませんか。それで全巻を貸出しカウンターに持ち込んで借りたものである。それから何度借り直しをしただろう。すくなくとも半年くらいは重い本を8冊下げて、図書館や近くの公民館行ったものである。
でもね、『千夜千冊』って、どちらかというとレファレンス本なんですね。だから、読むというよりも座右に置いて、なにか気になる時に事典のように利用するほうが多かった。それに書き込みも付箋も打てない。「これじゃあダメだ」とついに思って、購入に至った次第である。
後々に司書に聞くと「ワシャさんがいつも重い本を担いでやってくるのは有名でしたよ」とのことだった。
今も絶版になった本を1冊借りている。おそらくこの本もここ10年にワシャ以外で借りている人はいないと思う。ずっと閉架書庫で埃に埋もれていた。それをやっぱり半年ほど借り直しながら手元に置いている。これもレファ本なんですけどね。古本のネット市場ではけっこういい値段がついていて、その値段と自分の欲しさがまだ釣り合わないので、ぐずぐずしている。
さて、『千夜千冊』第4巻にレーニンの著作『哲学ノート』(岩波文庫)が紹介されている。この本を読んで「ふっきれたことがある」と松岡さんは言う。思想的なことではない。読書の方法についてである。そのあたりを引く。
《レーニンの筆跡こそ再現されてはいないものの、レーニンがどのように本にマーキングをしたかはだいたいわかるようになっている。》
そうなのである。『哲学ノート』はレーニンの書き込みやラインが再現されているのだ。続ける。
《ぼくはこの本で初めて、世の哲人や学者や革命家たるものがマーキングをしながら本を読んでいるのだということを知ったのだった。》
ということなのである。本は自分の所有物にしないと書き込みなどができない。時おり、公共物である図書館の本に書き込みをしたり、ページを切り取ったりするバカがいる。書き込みたければ「買え!」という話だ。
松岡さんをさらに引く。
《本への画きこみは予想以上におもしろい。なんといっても、それは白紙のノートではなく、テキストなのである。そのテキストを読みながら書きこめる。印をつけ、色を変え、意見がのべられる。もっと愉快なのはそうやって初読時に書き込みをした本を他日に開いたとき、新たな高速再読が始まるということだ。これは意外なほどに読書体験というものを立体化させていく。》
さすがに凡夫のワシャは色を変えられない。基本は付箋を打ち、ラインは3B、4Bの鉛筆で引く。だから家じゅうに付箋、やわらかい鉛筆がごろごろしている。レーニンは大袈裟かもしれないが、松岡さんほどの人なら痕跡を残してもいいけれど、ワシャが本の中に痕跡を残したくない。だからいつかワシャの蔵書が他の人に回っていったときに、さっと取ったり消したりできるようにそうしている。
レーニンの痕跡の話でもうひとつ。
今、レーニンは赤の広場の霊廟に眠っている。生ていた時そのままの姿で。一時期、社会主義国で、北朝鮮では今でもやっているらしいが、時の権力者を生きたままにミイラ化することが流行した。遺体防腐処理の専門の葬儀屋がモスクワにいて、そこが請け負っていたらしい。
レーニン自身は、死んだ革命家を偶像視する行為を軽蔑していた。レーニンの死後、妻も、夫をごく普通の墓に静かに埋葬してほしいと「プラウダ」に手紙を出した。個人崇拝も、記念碑も、ましてや生のまま防腐処理をして永遠に晒し者にするなど止めてほしいと訴えたのである。
しかし、その頃に権力を掌握しつつあったスターリンが「レーニンを永久に赤の広場に安置すべきだ」と言いだし、まさにそのとおりになった。共産党政府が成功するには、正教会の聖人に代わるものを国民に与える必要がある、そういうたくらみがあってレーニンの遺体を提供した。
本の痕跡は後世に残ってもやむを得ないとは思っただろうが、しかし、自分自身を消すことが永遠にできなくなるとは予想だにしていなかったに違いない。
無常や空の思想を持つ日本人には、理解できない。