春の読書週間

「ストレスが溜まるから」と理由をつけて、河川敷で集団バーベキューをやっている映像がニュースで流れていた。確かに密閉ではない。しかし密集はしているし、マスクなしで接近して会話をしているから、「集近」までは揃っている。

 昨日、ワシャは鰻屋で昼食をとった。メンバーは3人なので「密集」ではないよね。2人は1mくらいの距離で並んで座っていたし、ワシャはテーブルを挟んで距離を取っていた。それに1階の客はワシャらだけだから「密接」でもない。席は、入り口の前だったので、人が出入りするたびに空気が循環して涼しいくらいだ。

 このくらい気をつけて過ごさなければいけないぞよ。河川敷だって、SNSで何十人も集めるからいけないのである。一家族だけでポツンとやればいいだけのことじゃん。

 

 どうも日本人というのはすぐに群れたがる。子供の頃から、人と同じ行動を取ることがとても苦手だったワシャは、ずっと「群れ」に対して違和感を持っている。だから、一人で過ごすことはそれほど苦手ではない。本を読むことは一人でなければやれないし、こうやってパソコンの前に座って駄文に向き合うのだって、轆轤の前で粘土と格闘するのだって一人ゆえにできることである。かつてやっていた自転車やスキーだってチームプレーではなかったなぁ。

 ということで、ワシャは「自粛」をさほど嫌だとは思っていない。むしろ何十人と群れたがる集まりから声が掛からなくなってホッとしているくらいだ。

 あえて河川敷の狭い空間に何十人も集めて騒ぐ感覚が理解できない。なぜ群れて肉を食う?「集近閉」がいけないのである。だったら1人でツツジを観に行けばいいし、わずかな人数で免疫力のある鰻を食べながら一献傾けてもいいと思う。ボソボソと話すので、飛沫も飛ばないしね。

 

 独人を託つには、そりゃぁ読書である。こんな時のためにとワシャは本を蓄えてきた。冊数は言わないけれど、おそらく100年くらいは大丈夫だろう。今は、司馬遼太郎の『街道をゆく』全43巻を読み直している。いいでっせ~。北はオホーツク、南は沖縄・先島まで。海外だって行けちゃうんだから。北はモンゴル、南は台湾、東はニューヨーク・マンハッタン、西はポルトガルのザグレス岬まで、時空を飛び越えての旅が可能だ。 

 司馬さんは言っておられた。酒精度が高くなく、一方でべったりと地面に足がついてしまっているのもダメで、地面から1ミリくらい浮いている、そんな文章がいい文章だと。

 確かにワシャの嫌いな作家の酒精度は高く、読んでいると途中でなにを言いたいのかが解からなくなる。その作家の熱烈なファンたちと話をしたことがあるが、「泥酔してるね」と思ったものである。

 その点で、司馬さんの文章はいい。しっかりとした文章であるにも関わらず、少しだけ宙に浮いている。ほろ酔いというのだろうか。そんな感覚を自粛で楽しんでいる。