瘠我慢(やせがまん)

《甘利氏辞任 突然の表明、与党衝撃 後任・石原氏に懸念の声》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160129-00000071-san-pol
 客観的に見て、薩摩興業の社長とその裏にいる何者かが、甘利大臣の事務所を嵌めようと蠢いたのはあきらかであろう。頭軽めの代議士秘書「虎の威を借る狐」ちゃんが、悪意のある海千山千に引っかかっちゃったというお粗末。
 手渡した一万円札の紙幣番号をコピーしたり、50時間以上の録音をしていたりと、策を弄している。端っから罠が仕掛けられていた。魂胆がなければ、そもそもこんなことはやらないでしょ。
 
 ワシャは人体(にんてい)を見るものである。甘利元大臣は衆議院議員に初当選した頃から、その風姿、人品をながめてきたけれど、けして卑しい柄ではない。真摯さを感じる物腰、まっすぐに見つめる眼差しなど、凡俗の多い政治家の中にはなかなか見受けられない人である。その点、後任の石原伸晃氏の人体はあまり芳しくない。厄年くらいを過ぎれば、その顔には「使用者責任」がともなう。残念ながら、石原氏のそれは、きちんと手入れをして維持管理に努めたものではない。人体に傲慢さがただよう。信念のようなものは感じられない。慎太郎氏ほどの存在感と明晰な頭脳があれば、欠点を補って余りあるのだが、それほどのオーラはないでしょ。

 薩摩興業の社長も、週刊誌上に名前の出た人も、顔写真が見てみたい。どんな人体をしているのかが気になる。卑怯者は卑怯者の顔が形成される。ケチはケチな顔になる。歳をくっても蓄積のないヤツはヌケサク顔になってしまう。
ワシャはヌケサク顔か(泣)。

 そんなことはどうでもいい。このニュースである。
《甘利氏、辞任したのは「やせ我慢の美学」 内閣府であいさつ》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160129-00000535-san-pol
「責任の取り方に対し、私なりのやせ我慢の美学を通させていただいた」
 こう言われた甘利氏の念頭には、福沢諭吉の『瘠我慢の説』があるのはまちがいない。功名を得たいのはもっともなれど、幕府(内閣)を廃滅させてしまっては立国の志が全うできない。だから辞任をするのである。
 武田武士団の末裔である甘利さんらしいや。