書くのはかってだけれど

 今朝の朝日新聞の国際面にこんな見出しがある。
「植民地下の生徒 慰霊の碑」
 冒頭はこんな文章で始まる。《ソウル市近郊の韓国京畿道安山市に戦時中、朝鮮総督府が管理する教育施設があった。朝鮮人の生徒が日本の植民地支配下で公民下教育を受けたが、劣悪な環境で亡くなることもあった。》
 このことを知る岡山県の78歳の男性が、小説を書いたんだそうな。体験記ではなく「小説」というのが重要だ。
 著者は言う。
《8〜18歳ぐらいで、いつも腹をすかせ、脱走を図ってひどくたたかれた子も見た。逃げる途中で海におぼれ、亡くなった子もいた。》
 ふ〜ん……この人が当該教育施設の教官だった父親について朝鮮に渡るのは昭和18年ごろで、このころの日本人はみんな「いつも腹をすかせ」ていた。学校や訓練で「ひどくたたかれる」などということも日常茶飯事だった。この老人が7〜9歳くらいのときに見た現実というのが、どれほど小さな世界だったかは容易に想像がつく。その中で、そういうこともあっただろう。不幸にしてなくなる子供もいたかもしれない。しかし、そのことから飛躍して「これを知る日本人は自分しかいない」と妙な使命感に駆られて、朝鮮人郷土史家らとぐるになって慰霊碑まで作るのは、いかがなものか。
「本当のことを知って初めて、歴史の次のページが開かれるのだと思う。日韓の協力で建てられた碑を、真の交流の第一歩にしたい」
 小説は小説で、歴史ではない。そもそも小説の内容にしっかりとした検証がされているのかも懸念される。
 かつて吉田清治という詐話師がいた。彼の妄想小説ででっち上げられた「従軍慰安婦」が日韓関係をいかに悪化させたことか。子供のころの思い出を多少脚色をして小説にするのもいいだろう。しかし、悪乗りをして慰霊碑まで建ててしまうというのは、いかにも軽率だ。
 現実には、日本統治の時代に「この半島の嘗ての禿山には樹が茂り、田はよく耕され、鉱山は開かれ、道路は四通八達し、港湾の船の発着は自由となり、更に北上すれば、昔から有り得ないことの譬えにもいわれた、鴨緑江の水を逆流させるともいうべきほどの大発電工事もなされたのである。」と小泉信三も言っているし、歴史的事実として厳然と残されているのである。日本は半島に対して大きなインフラ整備を実施し、それはいまだに彼の国を潤している。
 78歳のおじさんは、このあたりの歴史を踏まえて「小説」を書いているのかにゃ。まさか自分の周囲で起きたことを朝鮮の郷土史家とともに膨らませて書き散らしたんじゃないでしょうね。