We won

 遊就館の「靖国の神々」というコーナーがあって、戦没者の写真などが展示されている。その一角にバロン西の遺影が掲出されてあった。
 バロン西、これは愛称で、本名は西竹一という。男爵家に生まれたためそう呼ばれている。この人、昭和7年ロサンゼルスオリンピック馬術競技において、金メダルを取った。このためにアメリカでもっとも有名な日本人となる。この金メダルの受賞の時に、「We won」(我々は勝った)と言った。栄冠は愛馬ウラノスとともにあるということなのである。
 西は、府立一中から陸軍中央幼年学校(広島)に進む。軍人のエリートコースである。ここで西は辻政信と同期になる。西と辻の話は
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20130317
こちらが詳しい。
 同期中で常に主席をとおしたガリ勉の辻、常に他者を凌駕することが彼の人生の喜びでもあった。
 西はというと、出自がよく、風貌もいい。そういったところからくる余裕が備わっている。後日のエピソードなどを考え合わせても、鷹揚として泰然とした快男子だったことは間違いない。
おそらくあくせくした辻とは対極にある存在であったろう。主席とはいえ辻は、諸々の劣等感を西に対して抱かざるを得ない。品格の違いとでもいうのだろうか、そんな屈折した感情を持つにいたる。
 杉森久英辻政信』(文藝春秋)から引く。
辻政信のさまざまな美談、佳話、奇行、逸事には、いつも観客を意識し、効果を狙う大袈裟な演技や、場当たり的な演出の臭味がつきまとっている》
 これに対して、西について言えば、彼はそんなことを画策するまでもなく、つねに晴れ晴れとした舞台の中央に立っていたし、他者もそのように見ていた。これが辻の嫉妬をかったことは容易に推察できる。

 快男子のことである。西は硫黄島で死ぬ。その最期はいろいろな伝説になっているが、なにしろ硫黄島で戦死したことだけは間違いない。そして戦後、西竹一は靖国に祀られた。西の友人であったアメリカ軍のバートレット大佐は昭和40年に来日し、靖国において西の慰霊祭を行なっている。アメリカ人ですら戦没者靖国で慰霊するのが、当たり前のことだった。
 遊就館の前庭には、軍馬の慰霊塔もある。ウラノスではないが、バロン西を乗せて戦場を走った馬たちもここに祀られている。