むっくりこっくり

 先日の読書会の課題図書『中国化する日本』(文藝春秋)について、些末なことなのだが記しておきたい。
 56ページにこうある。
元寇とは、このモンゴル帝国主導の自由貿易経済圏に日本も入れ、という要求を「鎌倉男子」が蹴ったために引き起こされた、文字どおり「しなくてもよかった」戦争です。》
 著者の與那覇さんは、朝鮮の高麗王朝も亡ぼされていないと前置きをしてこう続ける。
《まして、日本は海を隔てた地域です。相手の要求に応じてさえいれば、国が滅ぼされるなどということはそもそもあり得ない。》
 確かにそうかもしれない。元の使者が持ってきた国書の言わんとしているところは「属国になれ」といいうことである。すでに高麗王朝は、一部の気概ある軍人による抵抗を鎮撫され、元の属国になっている。この時から朝鮮半島の属国性のようなものが醸成されたのだろう。そんなことはどうでもいい。問題は、元寇が本当にしなくてもよかった戦争だったのか、ということである。
 ワシャは「否」と言いたい。そもそも元の属国になるということは、元のいいように追い使われるということである。高麗がまさにそのとおりで、日本に押し寄せた元の軍勢は、元・高麗の連合軍であり、通常の戦場のルールで言えば、最前線は高麗軍が受け持つことになる。
 この時期に元は東南アジアにもその触手を伸ばしており、日本が国書にしたがってモンゴル帝国の版図の中に組み込まれれば、皇帝は、日本の豊富な森林で造船を命じ、日本人を使って東南アジア諸国を攻めたことは間違いない。
 講談社の『日本の歴史10』にこんな記述がある。
《東路軍を率いる三人の大将軍の一人、洪茶丘は、高麗出身者でありながら、完全なモンゴル人としてふるまい、高麗人将士の怒りと憎しみを一身にあつめた》
 日本が蒙古の国書を受諾し属国となっていたら、日本伝統的な所作ふるまい、鎧兜などの物品にいたるまで、おそらくは違ったものになっていただろう。なによりも増して日本人のもつ誇り、矜持、気概のようなものも変質している可能性がある。ワシャの名前だって、支那中国風になっていたかもしれぬ。

 與那覇さんは、さきの戦争になぞらえて「国民を戦争へと駆り立てた無能な軍閥政府こそ、かつて平氏政権を葬ってグローバル化の道を閉ざした鎌倉幕府」と指摘するが、ワシャはそうは思わない。

 蒙古軍の猛烈な膨張は、多くの殺戮をともなった。鉄の暴風のような侵攻は、侵略される側から言えば、恐怖だったろう。あるいは與那覇さんの言うとおり、従順に属国としての運命を受け入れれば、酷使はされるが蒙古によって切り刻まれることはないし、元が樹立した世界経済圏に参加できたのかもしれない。でもね、その先に待っているのは奴隷の幸せのような気がしてならないのだが……。

 蒙古の要求を突っぱねたのは、鎌倉の北条時宗である。その時宗禅宗の師が無学祖元である。この人、南宋の人なのだが、大陸にあるとき、元の侵攻にさらされた経験を持っている。
 無学祖元が禅寺で打坐しているところを元兵に襲撃された。今、まさに斬られようとしたとき「人空にして法もまた空なるを。珍重す、大元三尺の剣。電光影裡、春風を斬る」と誦したという。簡単に言えば「すでに空を得た自分に生死はない。この首を斬る三尺の剣は春風を斬るようなものである」と無学祖元が曰もうたわけだ。格好いいじゃないですか。「斬りたくば斬れ」と言っている。理不尽な蒙古軍にまったく屈していない。これがいい。

 なにを言いたいのかというと、世界帝国の元の要求を毅然と突っぱねて、日本の矜持を守ってくれた時宗に感謝をしたいということである。グローバル経済に乗れなくとも、孤高の文化を極東で紡いでいけばいい。

 文永11年(1274)10月20日、一回目の蒙古襲来。鎌倉武士、奮戦するも戦術の違いから大敗北を喫する。大風は今夜吹いた。

 ちなみにタイトルの「むっくりこっくり」だが、「むくり」は蒙古、「こくり」は高麗の意味である。佐賀県では、今でもこの言葉を「無理やりに」というようなニュアンスで使う。
 ここからも蒙古・高麗連合軍が、対馬壱岐、九州沿岸でどれほど酷いことをしたかがうかがえよう。

 日本人の支那、朝鮮嫌いはここから始まっているのかもしれない。