天野さん逝く

 名コラムニストの天野祐吉さんが亡くなられた。
http://www.asahi.com/obituaries/update/1020/TKY201310200248.html
天声人語」などはずいぶん昔から読む対象ではなかった。作家の日垣隆さんや、コラムニストの勝谷誠彦さんが、早くから「天声人語」のいかがわしさや底の浅さを指摘しており、読むに堪えない「看板コラム」だったからね。日曜の「日曜を想う」も噴飯ものであることは、10月18日の日記に書いたとおりである。
 そこにいくと朝日新聞水曜日の天野さんのコラムは秀逸だった。そもそも構成力が違うし、視点が広いうえに細かいところまでを見つめている。鳥目であって虫目でもあった。目線が異様に高く左旋回ばかりをする朝日新聞の高給取りコラムニストとは、ものが違う。朝日高給鳥にはフランス南部のエクス・アン・プロバンスの高い空がお似合いだ(笑)。

 駄コラムニストのことなどどうでもよろしい。名コラムニストのことである。毎週、朝日新聞の水曜のオピニオン欄の左下に天野さんの写真とともに名コラム「CM天気図」が掲載されていた。遺稿となったのは10月16日のコラムだった。
お題は「ささやかなアンチ広告」。
 起こしは、スーパーなどで最近見かけるようになった顔写真入りの野菜を取り上げる。「顔の見える農作物で地産地消がいい」と言う。
「承」で、世界を単一の市場にしてしまおうという動きを指摘し、我が家の食卓にも外国産が増えたと進める。「ま、ある程度まではそれはいいことだが……」と諦観しつつ、それでも「このままいくと、巨大な企業と政治の力で、地球はどんどん文化のデコボコを失い、のっぺらぼうの星になってしまう」と指摘される。ユニクロマクドナルド、トヨタを例示して「画一的な社会は気持ち悪い」とも言う。
「転」で原発に触れて、「原発が地球上にあふれるようになったら、そんな地球にあたしゃ住みたくないと言う人が、けっこうでてくるんじゃないだろうか」とスパイスを利かせている。このスパイスというか、蜂の一刺しのようなフレーズが入れられるかどうかでコラムの仕上がりが決まる。これがなければコラムではないと言ってもいい。
 みんなに「せっせと写せ写せ」と喧伝する「天声人語」にはこれがないのである。つまりコラムじゃない。毎日、800字程度の駄文を読まされているわけだわさ。
 話が逸れた。
 そして「結」である。天野さんは、野菜に顔写真を入れるCMを、アンチグローバリズムへの抵抗運動だと指摘してコラムを締めている。巧い。鋭い。

 天野さんのご冥福を心よりお祈りする。天野さんのコラムが失われて、朝日新聞は読むところがホントなくなってきたなぁ。