与話情浮世横櫛

 ワシャは煙草を吸わない者である。止めてからかれこれ四半世紀は経とう。しかし、ワシャはマナーのよい喫煙家の味方である。例えば、宮崎駿の『風立ちぬ』の喫煙シーンにヒステリックな声を挙げた禁煙運動家たちが嫌いだ。

 そんなことはどうでもいい。歌舞伎の話である。源氏店のお富さんもキセルで煙草を吸う。このことで、お富さんが、素人の女ではないという風情を見せる。春日八郎の唄にもあるでしょ。
♪〜粋な黒塀〜見越しの松に〜仇な姿の洗い髪〜死んだはずだよお富さん〜♪
 お富さんは、洗い髪で仇な姿なんですね。「仇」はかたきのことではなく「婀娜」のこと。色っぽくって艶めかしく、洗練されて粋な女、それがお富さんなのじゃ。絶対に素人ではないでしょ。その婀娜っぽさをキセルの煙草で見せている。それに、キセルを指で回したりすることで、お富さんの心のいら立ちのようなものまでが表現されているのだ。
 そしてもう一つ、禁煙原理主義者が「歌舞伎の舞台で煙草を吸うとはなにごとか!」と怒り狂おうとも、絶対に止めてはいけねえ太(ふて)え理由があったのだ。お歴々、「源氏店の場」を想い出してもれえてぇ。与三郎が「しがねぇ恋の情が仇……」と始める直前の舞台だ。
 座敷上手にお富、座敷の下手にこうもり安、さらに下手の上り框で与三郎が、舞台中央に背を向ける格好で座っている。ここでお富が、キセルで二度灰吹きを叩く。これはたまたま叩いたのではない。舞台進行上の必然があってそうするのである。与三郎は舞台中央に背を向けている。このため舞台全体がどう進行しているのかが確認できない。こうもり安の位置はいいか、お富の準備は整っているか。それをこのキセルで与三郎に知らせるのである。このポンポンという音を切っ掛けにして、与三郎がおもむろに動き始め、「しがねぇ恋の情が仇……」の名ゼリフが生まれる。
 禁煙原理主義者は、こういった文化なども洗いざらい十把一からげで否定してしまうから恐ろしい。文化を壊すという意味において、バーミヤンの大仏を破壊した連中と大差ない。
 やはり煙草を吸わず、煙草嫌いな金美麗さんがこう言っている。
「たばこに反対だと発言したり禁煙運動したりすることはかまいません。それこそが自由な世の中なんだから。けれど、反対にたばこは好きです、吸ったっていいでしょと発言させない風潮、社会の空気が許せない。愛煙家の少数意見の発言舞台が用意されていない現状、これはもうファッショです」
 映画のシーンにいちゃもんをつけてくる禁煙原理主義者はファシストである、そういうことなんですね。