交渉の成功

 某所で会費制の懇親会があった。延べで40人くらいか。比較的、地位の高い方々が集る肩のこる宴席の一つだ。主催はもちろんワシャの部署で、ビールを運んだり、酒を注いだり、スリッパを直したり、大わらわだった。

 でもね、こういった場所のほうが交渉ごとは案外うまくいくものなのである。ワシャと、ワシャの部下は、別に動きながら、狙った交渉相手のところでは、きっちりと長居をして、練りこまれた太夫よろしく客と掛け合い(雑談)を始める。これがすでに交渉の序章なのだが……。
 さしつさされつやっているうちに、「そういえば先生、例の件ですけど」と懸案事項をさりげなく話題にのせる。あからさまに眉間にしわを寄せる御仁もいるが、表情を変えずに受け流す人もいる。どちらかと言えば前者の方が交渉しやすい。飲んでいるから、思っていることが顔に出てしまう。こっちは、相手の本音を見ながら交渉できるので、こんな楽なことはない。
 その点、表情を動かさない人はなかなか厄介だ。何を考えているのか、何も考えていないのか、まったくこちらに情報がこないのである。そのあたりを推し量りながら、言葉を選んでの交渉は肩がこる。
 それでも露払いを部下がしてくれていると、その後は入りやすい。とぼけて、「今日は暑かったですね」とか話しかけていくと、相手から「ワルシャワさん、例の件だけどさぁ……」切り出してくれる。ワシャのほうは、初めて聴いたような顔をして、「へええ、部下がそんなことを言っていましたか」と、困った顔をつくる。すでに打ち合わせているから、部下の言っている強硬な内容は百も承知なんですけどね。この対応を見て、相手は「課長と補佐で意見が違うのか?」と混乱する。その混乱に乗じて、部下の意見より少しおとなし目の案を提案する。そうすると「それなら課長の案でいきましょうか」ということになる。

 昨日の懇親会だけで3つの懸案を片付けて、2つの報告を済ませてしまった。これで今日からの業務がグンと楽になるはずだ。
 結局、部下と酒杯を挙げたのは、別の店に移ってからだった。