安倍首相が最初にベトナムにいった理由

 安倍首相が東南アジア歴訪の旅に出た。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130116-00000055-jij-pol
 さすが安倍さん、フットワークがいい。
 最初の訪問国はベトナムである。ベトナムときいて「はは〜ん」と思った。歴史的にベトナムはつねに支那帝国の脅威にさらされてきた。紀元前から侵略をされており、ベトナムの歴史は支那中国との軋轢の歴史と言ってもいい。最近ではベトナム東海岸にあるパラセル群島を「中国の領土アルヨ」と難癖をつけ、あろうことか「三沙市」と名をつけて実効支配を強行している。でもね、地図を見れば、支那の領海の線引きはどう見てもおかしい。こういった理不尽が国際政治では通用していくんだね。
 話が逸れた。なぜ安倍さんがベトナムを最初に選んだのか、である。支那中国と長い歴史で対立してきた国であるということもあるだろう。しかし、歴史好きのワルシャワはこう考えたい。
 日本に支那帝国が攻めてきた。文永の役(1274)、弘安の役(1281)、いわゆる元寇である。元の皇帝フビライは二回の失敗に懲りず三度目の日本遠征を画策していた。二度の元寇は天佑である「神風」に救われた。しかし三度襲来されればどうなっていたことだろう。あるいは九州は元帝国の版図の中に組み込まれていたのかもしれず、九州に橋頭保を築いた元は鎌倉幕府を倒していたかもしれない。
 それを救ってくれたのがベトナムだった。フビライは日本を狙うのと並行して東南アジア征服を目論んでいた。その手始めとして地続きの隣国ベトナムを属国にしようと画策した。しかし、誇り高いベトナムはこれを拒絶し全面戦争となった。ベトナムはこの大戦争に勝利し、元を追い払ったのである。ある意味、神風勝利でない分ベトナムの方がすごい。フビライにしてみれば日本どころではなくなった。日本征伐の計画を中止し、全軍をベトナムに集中せざるをえず、しかし、それでもベトナムに勝つことはできなかった。図らずもベトナムは中世の日本を支那帝国の牙から救ってくれたわけだ。
 現代に目を移せば、超大国アメリカにやはり単独で戦いを挑んで勝利している。ベトナムとはそういう国なのである。
そういったことを考え合わせれば傍若無人な紅い帝国に対峙する時、これほど頼りになる国はほかにあるだろうか。そういった思惑もあって、安倍首相がベトナム入りしたのだと思いたい。
 支那中国はそういった日本、ベトナム、タイ、インドネシアの動きを嘲笑っている。
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/330027/
 こちらをご覧いただければ、支那中国の傲慢さが解かろうというものだ。
 でもね、これはフビライの見込みの甘さと同根のものである。上記の4か国で人口は5億人を有す。これにフィリピンが加われば6億に近い連合ができる。支那中国が13億人といっても、ウイグルチベット内モンゴルなど1億は支那帝国の敵に回ると見ていいだろう。そうなれば彼我の差は2:1となる。古来、強兵と弱兵の比較は3:1と言われている。練度の高い日本の自衛隊、強兵のベトナム軍が主導すればいい戦いができるだろう。それにベンガル湾のむこうには、連邦共和制の民主国家の巨象インドが控えている。
 日本のゆく道に光が射してきた。