117

 申時(さるどき)とあるから今で言えば午後4時ごろのことだろう。
「申時、地大きに震れ動く 数剋を経歴するも震(ない)なほ止まず (中略)亥時、また震(ない)三度 五畿内七道諸国同日大きに震る」
 亥時(いどき)は午後10時、最初の地震でも大きな被害が出ているが、6時間後に発生したこちらのほうが本震だった。南海トラフが大きく動き、大津波が太平洋沿岸に押し寄せた。摂津の国にも大きな被害が出たとあるから、津波は友ケ島水道を抜けて摂津の海岸に押し寄せたのだろう。
 その摂津の海岸を平成の世に直下型の地震が襲った。「兵庫県南部地震」である。この地震の災禍を「阪神・淡路大震災」と呼ぶ。
 ワシャは今、地震当日の新聞を見ている。毎日新聞である。地震の震度表記が烈震、強震、中震となっているところが、時代を感じさせる。もちろん震度7なんていう記述はない。この震度表記は「117」の以降にできたものだからね。
 震災後、野次馬のワルシャワは神戸に入っている。そこで目の当たりにしたものは絨毯爆撃を受けたように壊滅した街だった。「これほどひどい災害は100年はお目にかかるまい」そう思っていたのだが、わずか16年でそれ以上の大災害を見ることになろうとは……。
「311」では、街そのものがなくなっていた。瓦礫はあるんだ。しかし、街がないんだ。自然というのはとてつもない力を持っている、神戸でもそれを感じたが、さらに上回る恐怖のようなものを三陸で感じたことを思い出した。
 
 日本は4枚のプレートが複雑に重なる位置に形成されている。そのプレートがせめぎ合って日本列島を造ってきた。そんな不安定な状態だから、日本のどこでも大きな地震は起こりうる。日本列島に安全な場所などないのだ。
 でもね、平安時代もそうだけど、日本人は自然と折り合いをつけながら営々と生きてきた。これからもそうしていかざるを得ない。そういった土地の上に住んでいる以上、地震を受け入れていくしかない。だって、地震を止めることはできないのだもの。とするならば、地震が発生した時に、被害を最小限にする努力をしておかなけれいけない。
 個々の人間にとってそれはさほど難しいことではなく、耐震補強と家具の転倒防止をしておけばよろし。その上で3日分程度の食料・水の確保をしておけば阪神・淡路級の地震が来ても心配はない、そう断言できる。
 しかし、国のレベルになるとそう簡単にはいかない。あちこちに点在する原子力発電所である。野田というボンクラが終息宣言をした福島第1原発は、未だに炉の中がどうなっているのかすら判らない。メルトダウンした燃料がどういう状態にあるのか、そんなことも把握できずになにが「終息」か!
 浜岡原発津波用の堤防を何メートルか嵩上げするようだが、それが屁の突っ張りにもならないということが中部電力にも国にも理解されていない。要するに想像力の欠如なのだ。
 世界地図を広げてほしい。なければ想像してね。太平洋の大きさに比べて日本列島の小ささはいかばかりであろうか。その中で浜岡原子力発電所が特定できますか?そしてそこに20mでも30mでもいいや、その高さの防波堤防をイメージしても、それが巨大な水の塊である太平洋に対してどれほどのディフェンスができるのだろう。
 ワシャが見ているのは「新詳高等地図」の表紙裏の世界地図である。太平洋は15cm四方の大きさだ。日本列島は3cm、もちろん浜岡など特定すらできない。この太平洋にミルクを1滴垂らしたらどうであろう。その波紋は円状に広がって日本列島にも押し寄せる。それを30mの堤防で防げるものではないわさ。ごく小さな隕石が太平洋に落下しないと誰が言い切れるのか。
 そんなことからワシャは一刻も早い脱原発を願うものである。