怒り続けるバカたち

 とりあえず11月上旬の切所は乗り越えた。久しぶりに徹夜を経験したが、20代の頃のようにはいきません。体や精神のあちこちが悲鳴を上げている。でもね、夕べはしっかり飲んで、食べて、寝たので、だいじょうぶだいじょうぶ。
 それにしても、日記を3日もサボってしまった。心がけの甘さに反省をしている。この異変に気が付いて、応援のメールをくださった心優しい方もみえた。多謝。

 さて、11月7日の朝日新聞社会面である。「怒られ続ける人たち」というルポルタージュが載っている。内容は、沖縄にあるヤマダ電機のコールセンターの実情報告だ。要するに、全国から寄せられる苦情・クレームがすべてここに集約をされる。時給900円程度で採用された非正規社員が、汚物のようなクレームをひたすら受け続ける。紙面にはコールセンターの写真が幾葉か並んでいるが、目をつぶって天井を仰ぐ女性の苦しげな表情が印象的だ。採用されても、1カ月で3分の1が退職し、1年半で85%がいなくなるという。驚異的な離職率の高さと言っていい。
 いつから日本人の心はここまで荒んでしまったのだろう。クレーマー、モンスターペアレントなどという言葉が人口に膾炙するようになって久しいですよね。ワシャの感覚だと、1980年代の後半くらいから、バカがモノを申すようになったと思う。「恥」という文化が消えるとともにバカの増殖が始まった。「みんな平等」がまかり通り、権威が地に落ちて、恥ずかしいことを注意する役割をになう人がいなくなった。
 その象徴的な出来事が、「世田谷のたてこもり事件」である。良識のある老人が、バカの闖入に生活を乱されて、ついに武器を手にとった。そして殺人の責任をとって自らの命も絶った。この老人の潔い行動で、どれほどの周辺住民が救われたことだろう。
 ワシャは地域を壊す闖入者に一片の同情もしない。この報道を聞き、ワシャは「シェーン」を思い出した。理不尽を強いてくる隣人に世田谷のシェーンが立ち上がったのだと思っている。

 話を戻す。クレーマーのことである。ワシャは所用で、あちこちの役場に顔を出すことが多い。たまたま行ったある役場での一コマである。
 土木系の窓口に60代半ばに見える小太りの男が陣取っている。服装は地味なジャンバー姿で、いかにも一般人である。対応しているのが30代の女性職員だった。その男はひたすらその女性職員を怒鳴りつけている。話を聴いていると、土地の境界がらみの話らしい。
「よく来るの?ああいうのが」
 ワシャの対応をしている職員に尋ねると、
「あの人は毎週来ていますね」
 と答える。
「なんとかならないの」
「まぁ1時間も吠えていれば帰りますよ。単なる暇つぶしですから」
「その間、あの職員は仕事ができないじゃない。無駄だと思うけれど……」
「ダメなんですよ。途中で打ち切ったりすると話がこじれて長くなってしまう。あるいは上司を出せといいだして、余計に手間や人員が掛かってしまうんですよ」
 確かに、その男はしばらくすると急に静かになり、そそくさと帰って行った。私の対応者は、腕時計を見て「ちょうど1時間です」と言って笑った。

 こんなこともあった。
 別の役所、別の窓口で、やはり初老の男が喚き立てている。今度の対応は気の弱そうな若い男性職員だった。初老の男も身なりは堅気なのだが、口調はヤクザまがいである。
「上司をだせ!」
 とその初老男が言う。職員は逡巡していたが、そのうちに窓際から毅然とした表情の中年男性が現われた。明らかに上司である。初老男は、上司にも罵声を浴びせかけた。それに対して上司は小声でなにか答えているが、少し離れているワシャにはなにを言っているのか聞き取れない。
 数分、初老男の汚い大声が響いた後のこと。
「あなたね、そこまで理不尽なことを繰り返されてもできないものはできないんだ。役所というところはあなたのためだけにあるんじゃない!」
 と、野太い声がフロアに響き渡る。件の上司がクレーマーに怒った瞬間だった。顔もいい顔をしている。東大寺の仁王のようだ。
 それに対してクレーマーがこう言った。
「あんたが怒ってどうするの。怒るのはオレの役目でしょ」
 その態度はひどく卑屈に見えたものである。
「では静かに話しましょう」
 上司が表情を和らげて提案すると、そのクレーマーは「気分がのらない」と言ってそそくさと帰ってしまったとさ。
 後日談だが、このクレーマー、その後も同じ窓口を訪問しつづけているのだが、あれ以来、必ずその上司がいないときにやってくるようになったとさ。クレーマーはクレーマーなりに一応は考えているんだね、バカ。