殉愛

 いやー、日記を書き始めたのは午前6時を過ぎた頃だったのだが、どえらい寄り道をしてしまった。
 9月1日なので防災の話題かなぁ、でも、昨日も一昨日も防災の話をしたから飽きているし……。そうださっきまで見ていた夢の話でも書こう、と思いつく。早速、パソコンにむかってカタカタカタカタ……と作業を始めた。
《夕べ、夢を見た。リアルな夢だった。
 場所は、ワシャの職場という設定。だけど、明らかにワシャの職場ではなく、空港のロビーというか、大きなデパートのロビーというか、テレビ局のロビーというか、なにしろそんな場所の一角にワシャのオフィスがある。初めての場所だ。以前に行った空港とかデパートとかテレビ局ではない。知らない場所だった。》
 上記のように書き出し、実際にはもう少し長い分量を書いていた。喉が渇いたので、キッチンへ行ってトマトジュースをグラスに入れて戻ってくる。再びパソコンの前に座って、ふと左手のテーブルを見ると「殉愛」という文字が目に入った。昨日、書店に寄ってもらってきた書籍の中に、西村雄一郎『殉愛 原節子小津安二郎』(新潮社)の背表紙を見つけたのだ。何の気なしに手に取った。これがまずかった……というか良かったというか。
 ワシャは小津映画の大ファンである。『麥秋』『晩春』『東京物語』は何度見たことか。小津の、絹糸を紡いだような繊細な映画に魅了されている。それに日本映画の女優のトップは原節子浅丘ルリ子だと信じてやまない。その二人の「殉愛」ですぞ!これは読まいわけにはいかない。そう思って買ったのである。どちらにしろ早い段階で読むつもりだったのだが、忙しい今日の今日に読むつもりはなかった。しかし、魔が差したんですな。つい手に取ってしまった。午前10時から外出する予定があったのだが、それまで本から離れられなくなってしまった。
 所用を済ませて、夕方に帰宅し、残りの部分を読む。これはおもしろかった。何度も聴いた小津エピソードもあったが、原節子と小津の関わり合い方がリアルに描かれているところが斬新で、「小津と原節子は愛し合っていたのか?」を文献や映画を丹念に吟味して、著者なりの結論を下している。
 こんな本を読むと、無性に小津映画が見たくなってしまう。小津作品、紀子三部作はDVDを持っている。早速、見直しましたぞ。
 ううむ、『晩春』……名作だ。父と娘の殉愛ものの極め付きだ。京都の夜の紀子(原節子)が色っぽい。能楽堂のシーンも、紀子の感情の機微が丁寧に描かれている。その横で呑気に「杜若」を堪能する父親(笠智衆)のアホ面が腹が立つ。気が付けよ、紀子の思いに。
 小津映画に文句はつけたくないが、絶対にこの父親と紀子は血がつながっていない。まったくと言っていいほど、類似点がないんだから。重量挙げの三宅親子を見れば、父親と娘ってそっくりでしょ(笑)。
 気がつけば午後8時を回っていて、そこから日記を書き始めて今に至る。この後も『麥秋』『東京物語』を見ることになるだろう。