最近、上京する頻度が高くなっている。どうだろう、2カ月に3回くらいのペースではないか。昨日も浜松町界隈でセミナーがあり、いそいそと上京した。
年間20回前後など大したことはないじゃないか、と仰る向きもあろうが、ワシャの業界でこの数は相当多い。今、同僚が立川市に出張しているが、その男は新幹線の回数券の買い方すら知らなかった。ワシャらの業界から、それほど東京は遠いということなのだ。
さてと昼飯にするか。場所は、前に来た時に目をつけておいた芝大門脇にある「更科布屋」。
http://www.sarashina-nunoya.com/
ここは創業が寛政3年というから、田沼意次が失脚し松平定信が登用された少し後のこと。「白河の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき」などと歌われたころからずっと蕎麦屋を営んでいるわけだ。すごいな。
「江戸切絵図」を見ると、大門の東には飯倉神明宮があり、そのまた東が七軒町、もう一つ東が浜松町となっている。「更科布屋」は、この七軒町に店を出した。それから220年つくり続けてきた蕎麦を、歴史とともにいただきましたぞ。
『東京の地名由来辞典』(東京堂出版)に依れば、慶長3年(1598)に増上寺が芝へ移転してきた折に、門前町を形成したところの地主が七軒あって、そこから「七軒町」と呼ばれるようになる。その後、現在の芝大門1丁目15番地になった。現在、「更科布屋」はまさにこの15番地にある。
「天せいろ」を堪能して店を出た。
店の前で、増上寺越しに東京タワーを見上げれば、塔の先に重い雲が引っ掛かっている。だが、雨はなんとかもちそうだ、と思う。
ワシャは、上京した時には、土地勘をつけるためにもせっせと街を歩くことにしている。江戸時代をこよなく愛しているので、できるだけ足で東京を知りたいのだ。
まだ、セミナー会場に行くには、少し時間がある。腹ごなしに、今日は、御成門を経て愛宕山まで足を伸ばすことにした。
まずは、芝大門から北に入る。歌舞伎の「神明恵和合取組」(かみのめぐみわごうのとりくみ)の舞台となった飯倉神明宮
http://www.shibadaijingu.com/html/goyuisyo.html
を右手に見ながら北上する。芝パークホテルの角を左に折れて、天光院
http://tenkouin.dcsv.jp/front/bin/home.phtml
の前の細い道を西に抜けると日比谷通りに出て、そこを渡ると御成門である。御成門とは、将軍が廟参の際に通る最上格の門で、普段は締めきって開けることはない開かずの門なのである。
そこから芝公園、みなと図書館を経て、愛宕下広小路を北に歩いて、筋違いの愛宕1丁目交差点に到達した。ここで、6月5日に歩いたコースと交わり、浜松町から新橋、虎ノ門、神谷町がつながった。
いつも思うのだが、東京というところは歩くと意外に小さい。でも、いたるところに発見があって楽しくもある。時間さえ許せば、地下鉄などに乗らずひたすら歩きたい。
おっと、セミナーの時間が迫ってきている。急いで戻ることにしよう。エキサイティングなセミナーについては、明日のココロなのだ。
追伸★
残念なことが一つだけあった。
それは、「更科布屋」の天せいろにピーマンが入っていたことである。できれば、シシトウにしてほしかった。もちろん、ピー天に箸をつけなかったことは言うまでもない。