文月朔日

 7月に入った。季語としては「盛夏」「極暑」「油照り」「炎天」……書いているだけで汗が出てきそうだ。
 ところが、今朝なども、細く空けておいた掃き出し窓から冷たい外気が入ってくる。Tシャツの上にトレーナーを着て寝ていたのだが、ヒンヤリとした風に目を覚ました。午前4時過ぎだった。例年、こんなに涼しかったかなぁ。

 毎年7月1日になると必ず「ノモンハン」という地名が脳裏をよぎる。日本史の教科書などでは「ノモンハン事件」として習うのだが、結果をみれば「事件」などという生易しいものではない。「ノモンハン戦争」なのである。
 度々書いているので、耳にタコができておられるかもしれないが、この「戦争」を常にリードしていたのが、関東軍の凸凹コンビ、服部卓四郎と辻政信(ともに軍刀組)だった。彼らがノモンハンで行った愚策、隠ぺい工作が、その後の大東亜戦争の戦略思想に与えた不利益は極めて大きい。

 6月8日の日記にも書いた「宝暦治水」のことである。この工事、薩摩藩が幕府に押しつけられた築堤工事で、工事そのものは成功裏に終わったのだが、難工事ゆえに工事費がかさみ、藩に予定外の出費をさせてしまった。このことに責任を感じた51人の武士がけじめをつけるために切腹をしている。
 冒頭の凸凹コンビはもちろん責任を取っていない。その後輩にあたる瀬島龍三もウソはついたが責任は回避した。そのまた後輩の丹羽宇一郎中国大使も、どんなに国益に適わない発言をしても責任を負う気などさらさらない。
 薩摩武士と軍刀組でずいぶん違うでしょ。

 そして、東電の株主総会で、議長職をまっとうした勝俣恒久氏である。氏は東電会長職こそ辞したものの、未だに日本原子力発電株式会社の取締役に留まっている。腹を切れとは言わないが、福島県民にどれほどの迷惑を掛けているのかということに自覚的であれば、身の処し方というものがあるだろう。
 原発事故当時及び以前の経営陣少なく見積もっても、「宝暦治水」の薩摩藩士の1万倍くらいの責めを負わなければなるまい。勝俣氏は率先してその責めを負うべきだ。重ねて言う。腹を切れとは言わないが、パフォーマンスでもいい、頭を丸めて私財を投げうつくらいのポーズをとってみろ。それが「ノブレスオブリージュ」というものだろう。

 ここまでの話とまったく関係ないが題がそうなっているので、文月(ふみづき)について少し触れたい。
 なぜ、7月が文月と呼ばれるのだろう。稲の穂が含む(ふふむ)月とか、七夕に、詩歌のフミ(文)を供えるところからきているとも言われている。
 本好き活字好きとしては「文」がつく月というのは親しみがもてるのじゃ。