すっから菅首相が「太陽光発電1000万戸」を言い放つ。
http://www.asahi.com/paper/editorial20110527.html
それも担当大臣が承知していないことを、全世界にアナウンスしてしまう。いいですか。どんなチンケな自治体の首長でも大きな支出、財源の伴う話を担当部長に相談する前に公言するなどということは絶対にしない。いやいや、ないとも言いきれないか。阿久根市の前市長や名古屋のミャーミャー市長なら言うかもしれぬ。しかし、国家の政をあずかる人間が独裁者でもあるまいに、執行部に調整していないことを放言するなど危痴地害沙汰と言っていい。
コラムニストの勝谷誠彦さんの盟友で四国学院大学教授の田尾和俊さんが秀逸な積算をしているので紹介する。5月26日をお読みくだされ。
http://www.mentsu-dan.com/diary/bn2011_05.html
要するに1000万戸を家の屋根にのせたところで総発電量の1.5%にしかならない。そして、のこりの18.5%を他の自然エネルギーで賄うということになると、風力や水力を増強していかなければならないという話で、この首相の言っていることが妄想に近いことがおわかりいただけるだろうか。
この首相の頭には、そもそも「EPR」(Energy Profit Ratio)という概念が存在しない。日本語で言えば「エネルギー収支比」である。そのエネルギーを得るために、どれだけのエネルギーが必要かという考え方だ。
例えばインディアンが食料にするためにウサギを追っている。インディアンが完全に飢える前にウサギを捕獲できれば、インディアンは生き延びられる。しかし、ウサギを捕まえる前に自分のエネルギーを使い果たせば、息絶えるしかない。
「太陽光発電」には、そのパネルを製造するためのエネルギーがカウントされていないのである。辛うじてEPR値が1以上であれば、インディアンは生き延びることができるが、それは息絶え絶えの延命でしかない。
ある資料によれば原子力のEPRは17.4だが、太陽光は0.98となっている。原子力は1のエネルギーで17.4のエネルギーを得ることができる効率のいい発電方法だということがわかる。太陽光は1を切っているので、太陽光に頼り切れば、インディアンは死ぬ。
福島第1原発の事故をうけて、にわかにその信頼性を回復した我らが武田邦彦先生が『原発大崩壊!』(ベスト新書)を上梓された。この中に武田さんと佐世保市との関わりについて書いた章がある。
武田先生は、自然エネルギーの中でもっとも有望視されている水力について、「自然破壊」であると言われ、その理由を解かりやすく説明している。その後段で佐世保市の太陽光発電導入のために研究をした結果についてこう書く。
《佐世保市で使用する電力の8%を太陽光発電でまかなおうとして、これを推進すると、市周辺の野生生物が大量に死にます。》
電力全体の8%を太陽光発電から得ようとすれば、当然、建物の屋根ばかりではまかないきれず、休耕田とか空き地とかにも隙間なくソーラーパネルを敷き詰めなければならない。で、どうなるかと言えば、生物たちから貴重な太陽エネルギーを奪い、わずかな電力と引き換えに生物相を破壊していく。こんな「自然エネルギー」がエコなんでしょうかね。
今回の原発事故で、武田先生がテレビに出たがりのいいかげんな科学者ではなく、物事を合理的科学的に見つめることのできる人物だということがわかった。今まで武田先生をくさしていた学会や学術村の大先生たちがいかにでたらめ班目かということも白日のもとに晒された。
名誉挽回した武田先生、この本の中でもこうも言われる。
《実はCO2が出て温暖化が急激に進んでいるというのは真っ赤なウソです。》
そろそろ、科学的になんの根拠もないCO2悪玉説に別れを告げるときが来ているのではないだろうか。