亭々(ていてい)

「吾妹子(わぎもこ)が 見し鞆(とも)の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞ無き」
 万葉歌人大伴旅人広島県福山市鞆港で詠んだ歌である。歌意は――わが妻が見た、鞆の浦のむろの木は、いつまでも変わらずにあるけれど、それを見た妻はもういないことだ――こんな感じだろうか。
 大阪大学犬養孝先生のカセットを聴いていたら、上記の歌の解説をされているときに、こんな発言をされた。
「むろの木というとネズミサシという、こう松のような、小さい針葉樹ですね。で、そのむろの木はちゃんと亭々と繁っているけれど……」こんな発言があった。
 亭々!

 司馬遼太郎の『国盗物語』である。斉藤道三と織田信長の義理の親子二代のドラマの大団円、明智光秀が本能寺の信長を襲撃するあたりの一章がこんなふうに書かれている。
《さらに内蔵助の指示はゆきとどいている。》
 この内蔵助という人物は、光秀の腹心で、彼の長女が後に春日局になる。そんなことはどうでもいい。話を進める。
《本能寺のあらかたの位置を教えるだけでなく、闇をすかせばこう見えるであろうというその形状までおしえた。本能寺は樹木が鬱然としているために夜目には森に見え、なかでもサイカチの木が亭々として天に枝を張っている。それが目印だ、と内蔵助はいうのである。》

 言葉を知らないワシャは、司馬さんのこの小説で初めて「亭々」という言葉を教えてもらった。
「亭々として天に枝を張っている」
 その字面を見るだけで、本能寺の目印となったサイカチの枝ぶりが目に浮かぶようではないか。司馬さんに語彙力の差を見せつけられたような気がした。

 それが昨日、犬養先生の講義の中に「亭々」がさりげなく出てきた。そこでワシャはギョッとしたのだ。もしかしたら「亭々」などという言葉は、司馬さんや犬養先生の中では「たびたび」とか「はるばる」くらい一般的な言葉なのだろう。

 また、己の勉強不足を痛感した次第である。