空母「ひゅうが」就航す その2

(上から続く)
 話はとんでもない方向に走ってしまうが、かつて「日向」という官名があった。正式には「日向守(ひゅうがのかみ)」である。徳川幕府にこの称呼を許された大名は77人存在するが、ざっとみたところ傑出した人物はいない。石川昌能、永井直清と言われても、聞いたことないでしょ。
日向守で有名な人は戦国時代にいる。それは、本能寺で信長を討った明智十兵衛光秀である。彼は、天正3年に惟任日向守に改姓任官した。その官名で日本歴史の中でも最も忙しい7年を馬車馬のように働き、最後に日向守として魔王信長を征伐している。その後、山崎の合戦で秀吉に敗れ、あっけない最期を遂げるが、ワシャ的には嫌いな人物ではない。だいたい歴史などというものは勝者がつくるものである。勝った方が書いた歴史など、自分に都合のいいことしか書き残さない。そういったことを割り引いて読むと、光秀というのはなかなかの好男子だと思っている。だって中途半端な男に、その時代、神とも魔王とも恐れられていた信長を討つことなんてできないでしょ。

 そういった意味からも「ひゅうが」という艦名はいい命名だと思う。