災害によって見えてくる潔さ

 昨日の夕方のニュースである。福島第1原子力発電所の元作業員がインタビューを受けていた。
「東電から、1日5万円で作業に戻らないかという電話があるんよ」
 ジャンバー姿の男がカメラの前でそう話す。ただし顔はわからないようにして。
 その男はこう続ける。
「断ったよお。金じゃねえもの。命の方がたいせつだ」
 こんな男が二人出てきた。
 確かに命あってのものだねだろう。被曝することがわかっているのに、わざわざそこに入って作業ができるか、と思う気持ちも分からないではない。しかし、この男の発言を聞いて、不愉快になった。

 例えば、ワシャにはこの男のように原発の中で働くノウハウはない。しかし、東京電力がボランティアの受け入れ体制――被曝量のこまめな計測、防護服の貸与、一定量の被曝での交代などのきちんとしたフォロー、事後のケアなど――を整えられるなら、原発の現場で作業してもいいと思っている。
 事ここにいたっては、日本人みんなで少しずつリスクを分け合うことでしか、この暴走原子炉を黙らせる方法はあるまい。1人が作業して放射線を1000ミリシーベルト浴びるならば、20人で分担すれば50ミリシーベルトでしかない。それぞれの作業者が100ミリシーベルトを超えない範囲で交代しながら作業を続ければ、特定の人だけにリスクを負わせるようなことにはならないのではないか。
 もちろん、俺たち東京電力に関係のない志だけのボランティアが現場に入るのでは東電としても示しがつかないだろう。やっぱり、その先頭は、屁たれ会長の勝俣恒久でなければならない。
 勝俣会長、すでにジジイだから残りの人生で放射線を浴びる時間も短い。100や200浴びたってどうということはないわさ。ここらで根性みせてみろよ、勝俣さん。
 もちろん後方で安穏としている東電職員やイタチ顔でペラペラと言い訳をしている原子力安全・保安院の西山さんも率先して現場に入っていただきましょう。
 おっと忘れてはいけない。適当なことばっかり言っている原子力推進派の先生方にも研究のために俺たちと一緒に現場に入ってもらおうじゃないか。

 50代以上の男たちよ。よく生きたってあと30年、ワシャなんていい加減な生活を日々おくっているから10年も生きられるかどうか。どっちにしたってあと50年も経てば、生き残っている人間はそうはいない。しかし、福島第1の原子炉が50年で安全になっているかどうか……。
「どうで死ぬ身」である。未来の子供たちに美しい日本を残すために、ここらで「一踊り」してもいいと思いませんか。