腰抜け国家の情けなさ その3

(上から続く)
 400年以上も昔、日本人の先祖は戦国の時代を生きていた。その中にいた豪傑たちは、敵に屈することを恥じ、立ち腹をかき切って、己の臓腑をつかみ出し、攻め寄せてくる敵に投げつけたという。なんと凄まじい生き様、死に様であることか。そこには、少々過激だが恥を知る武士(もののふ)が間違いなくいた。
 それが260年の泰平の水に浸かって武士(もののふ)たちは立ち枯れていく、いや、立ったまま腐っていった。ちょうど今の日本のように。
だから、浦賀の沖にたった4隻の蒸気船が来ただけで灰神楽が立つような大騒ぎになった。この外圧で泰平のかさぶたが破れ、血がどくどくと流れ出すのである。その血を潤滑油にして、時代という巨大な内燃機関が動き始める。
 不燃性の腑抜け江戸侍が、誇り高き武士(もののふ)に変化するのに、ちょうど50年掛かった。黒船来航が1853年、日露戦争が1904年である。源平合戦と変わらぬ鎧を着込み、火縄銃を担いで走り回っていた極東のちっぽけな島国の兵隊が、世界最強の陸軍をもつロシア帝国に勝つのである。
 もちろん島国の民は熱狂した。申し訳ないがワールドカップで決勝リーグに進出したのとはわけが違う。国がその存亡を賭けて総力戦をするのである。国民だってもちろん命がけだ。日露戦争の勝利がいかに巨大なものか、欧米列強に卑屈になっていた国民に与えた感動は想像を絶したものだったに違いない。
 冒頭に記したように、今、日本は近隣諸国から侮られ続けている。これが、あの明治の日本であるなら、侮辱を受ければ、その恥をそそぐべく必ず立ち上がった。人々の胸に間違いなく日本人としての誇りがあった。
ワシャは詰まらない人間だ。でもね、誇りだけは失わずに生きていこうと思っている。卑怯なことはしない。自分自身に嘘をつかない。愛するもののためにはいつでも闘う用意をしておく。そしてそのことを常に胸に刻んでおこうと決めている。
 一人の人間の力なんて非力だ。蟷螂の斧よりもっと弱っちい。ワシャが三河の田舎から何を叫ぼうとも、何がどう変わるというものでもない。しかし、現在の状況を憂いているのはワシャだけではない。日本のあちこちに、この国の不甲斐なさに歯軋りする人々はいる。
(下に続く)