腰抜け国家の情けなさ その4

(上から続く)
 憂国の士が末期の徳川幕府に押さえ込まれていたように、敗戦後、60年続く体制に牛耳られ、踏みつけにされながらも、誇りを取り戻そうと臥薪嘗胆している士はいる。
 そしてその士の多数が立ち上がったとして、この国が誇りを取り戻すのには早くて30年、ちょうどよくて50年、間違っちまえば、どこぞの国の属国に成り下がっていることだろう。ワシャの幸せは、その地獄のような屈辱を知らずに死ねるということだわさ。日本が属国になった後、「日本が好きだった罪」かなんかをクソガキの紅衛兵におっ被せられたって(といっても本当に日本が好きだったから冤罪ではない)、せいぜい紅衛兵に墓を暴かれる程度で、ワシャはとっくお骨になっているもんね。悔し紛れにお骨を肥溜めに突っ込まれたって痛くも痒くも臭くもないもんねーだ。

 憂国の士の一人であるコラムニストの勝谷誠彦さんは言う。
《人口圧力だけで世界を我が物顔に振舞っている国が、ひとがましい一流国のふりなどするなとわからせたほうがいい。》
 もちろんワシャもそう思うが、その前に、近隣諸国に謝るばかりで自らの主張も屁もこけないような腰抜け国家が一流国のふりなどするなとも言いたい。最初、題を「ふにゃ○ん国家の情けなさ」にしようと思ったけれど、ワシャの品格を問われるので「腰抜け国家の情けなさ」にした。
 でも、「クソガキ」だとか「屁もこけない」などと言い連ねているので、元々、品格なんてあるはずもなかったですね。