新総裁谷垣禎一 その1

 さすがの谷垣さんも今回の選挙では苦戦をした。新人の小原舞さん(35)に7,000票のところまで追いこまれている。何でもかんでも候補者を立てればいいと思っている共産党が支持に回れば落選するところだった。前回が11万票を獲得し、民主候補に倍以上の差をつけたことを考えればヒヤヒヤだったに違いない。
 その谷垣さんが自民党総裁になった。背後に爺臭さを感じるが、麻生さんと比べればずいぶん上等だ。まず普通に漢字は読めるだろうし、受けを狙って失言するような軽薄さも見当たらぬ。「みんなでやろうぜ」という言い方が不似合いだが、その取ってつけたようなところがまたこの人らしい。
 経歴は、麻布中学麻布高校東京大学だから、京都福知山の生まれかもしれないが育ちは東京で典型的な世襲議員の経歴を持っている。福知山はあくまでも国表(くにおもて)の領地でしかない。
 谷垣家と政治の関わりは父の専一から始まる。京都の造り酒屋に生まれた専一は優秀な人物で東京帝大を経て官僚となった。その切れ味をかわれて政治家に転身し文部大臣まで務めた。専一は最近のフニャチン政治家とは違って、息子に対し「こういう仕事は世襲じゃないんだから、お前は継ぐな」と言っていたそうだから、少しは骨のある先の見える人物だったようだ。だが、国表の家臣団は許してくれない。結局、父親も本人も世襲する意志がないにも関わらず担ぎ出されてしまった。このあたりが谷垣禎一の柔弱なところなんだろう。
 谷垣さんの外祖父に影佐禎昭(かげささだあき)という人物がいる。名前の「禎」はこの人からもらっている。この人、広島浅野家の藩士の家系に生をうけている。長じて、陸軍士官学校、陸軍大学を経て、さらに東京帝大で政治学を修めた学者軍人であった。この経歴は陸軍の中においてかなり異色だろう。対中国工作の主軸を勤めていたが、小役人首相の東條英機に「中国に対して寛大過ぎる」と疑われ南方戦線に左遷されたりもしており、なかなか見所のある軍人だと思っている。昭和17年に中将まで昇進した。居並ぶ将軍たちがみな虚仮威しの髭をたくわえている中にあって、つるんとした顔をしているところなんざ、なかなかの人物と見た。
 そういえば影佐中将の面差しは谷垣禎一によく似ている。やや下がった眉ややさしそうな眼差しなど、顔のパーツの多くをこの祖父から得ている。残念ながら影佐中将は戦地で結核を病み、終戦後、帰国してそのまま入院し3年を待たずして死んでしまった。終戦の年に禎一が生まれているのだが、はたして結核の祖父に会っているかどうか。
(下に続く)