能登半島地震 その1

 いやー復活しましたぞ。
 それでは元気にキーボードを叩きまくります。

 本題に入る前に指慣らしも兼ねて能登の語源について考えたい。「ノト」という地名にはいくつもの説が存在する。一説には、かつてこの地に住していた蝦夷アイヌ語で「ノッ(岬)」と呼んでいたことから「ノト」になったというものがある。
 別の説では、能登と加賀の境辺りが、宝達丘陵と海岸線によって狭められているので、この地形を「ノド(咽喉)」と形容したのが始まりと言われている。あるいは、能登半島の付け根に羽咋(はくい)という町がある。その北東に巴知潟(おうちがた)という湖沼があるところから「ヌト(沼所)」からきているのではないか、とも言われている。
 どの説も定説とまではいっていないが、ワシャ的には、最初のアイヌ語源説を採りたい。だって「咽喉」とか「沼地」ではロマンがないでしょ。
 太古、アイヌの若者たちが日本海を丸木舟で漕ぎ渡っているときに、行く手に岬を認めた。彼らは口々に「ノッ」と言いあったに違いない。彼らはその岬を最終目的地に決めて、上陸し居住地を形成していく。その痕跡が能登半島の先端の不動寺遺跡にも残されている。後に、陸沿いに北上してくる弥生人の出現まで彼らの平穏な生活は続いた。
(下に続きます)