調査は続くよ、どこまでも〜♪その2

(上から読んでね)
 この武富が治水関連で旧馬頭町とつながるのではないかと思い、確認するべく旧馬頭町の資料館に電話を入れた。そこで担当者の方に次の3点を教えてもらった。
○高野源左衛門は天狗党(幕末水戸藩尊皇攘夷派)の一員だった。
那珂湊の戦いで戦死した。
那珂川町富山に碑が現存する。この周辺には高野姓が多い。
 この点を検証する。
 まず、天狗党の名簿に高野源左衛門は存在した。しかし那珂湊の戦いでは戦死していなかった。高野はこの後、捕縛され銚子の獄につながれそこで慶應3年8月4日、獄死している。また那珂川町富山周辺に同姓が多いということは百姓の可能性がある。そこで『幕末維新全殉難者名鑑』を調べてみると、この人、下野那須郡富山村の農民であることが判明した。とすれば、神楽坂界隈の旗本屋敷に住んでいる可能性は薄い。
 はてさて、日本出版クラブ会館の旧地に住んでいた高野源左衛門さんの姿は相変わらず霧の中である。でも昨日より新事実が出てきたでしょ。
 神楽坂からずいぶんと離れてしまった。明日は神楽坂に戻ろうと思っておりますぞ。やれやれ。