東京散歩―九段―

 神楽坂より時間はやや遡る。
 東京に来たら神保町(大古本屋街)は素通りできまへんで。というわけで午前10時ごろには神保町駅の階段を上っていた。1時間くらいで何軒かの店を覗いたが、これといって琴線に触れる書籍はなかった。金銭が足らぬということもあったかもしれない。
 セミナー会場には12時に入らなければいけないので、早めに食事を済まそうと思って、ぶらぶら歩いていると結局九段下まで来てしまった。目の前に靖国の大鳥居が見えている。ここまで来たんだ。大村益次郎に会っていくことにするか。
 日本全国に数多銅像はあるが、実はワシャはここにある大村益次郎銅像が一番好きなのである。その理由の1として、高さがいい。すいぶん見上げなければ見られない。遠いから銅像のディテールが分からないのでなんだかミステリアスなのだ。その点、上野の西郷さんなどははっきりと見えすぎて、いかにも作りもの然としている。
 その2として、銅像に物語がある。靖国の杜に立つ大村はキッと上野の山を睨んでいる。そこに篭っている彰義隊の動向を覗っているのだ。
 元々靖国神社は「招魂社」と呼ばれた。幕末の騒乱から戊辰戦争までの戦死者たちを公に祭祀せねばならなかったがために、大村が発議して幕府御用地であった現在の場所に建立している。
 由来も、シチュエーションも上出来だ。
 ここでも田山花袋を引きたい。
《その頃は境内はまだ淋しかった。桜の木も栽えたばかりで小さく、大村の銅像がぽっつり立っているばかりで、大きい鉄の華表(とりい)もいやに図抜けて不調和に見えた。》
 そうか、この頃は杜もまだ小さかったんですね。
《境内は花の頃よりも新緑の頃が殊に美しかった。日影にざわざわ動く新緑、雨にしっとりぬれて見える新緑、傘をさしたままでその後苑の噴水のある池の畔(ほとり)に私はよく立っていたりした。》
 明治30年の風景が脳裏に浮かんできますぞ。

 なんてことを考えていたら、いつのまにか11時40分を回っていたのでした。ゲゲゲッ!昼飯を食っている暇がないじゃないか。
 セミナーの準備に遅れるわけにはいかないし、とにかく走ろう。そう決心してワシャは早稲田通りを牛込橋に向かって猛ダッシュをかけたのでした。遅れても日垣さんは怒らないと思うけど、でもちょっとこわいので急がなければいけない。どうなるワルシャワ
 この続きは明日のココロだ。