お仕着せ

 どうも官公庁というのは思考能力がないというか、応用力が欠落しているというか……
 大阪市がバカだから、「官公庁のユニフォームがすべて悪だ」という論調が拡がってしまった。まぁそれ以前からカジュアルフライデーとか私服着用推進とかあって、地方公共団体の制服が壊滅しつつある。
 確かに高額な大阪のブレザーはおかしいとしても、しかし考えてみよう。本当に官公庁の制服は悪か?

 一つ例を挙げる。
 江戸時代、長屋の住人である熊さん、八っあんたちに困ったことが起きるとその調整のために大家さんが腰を上げた。
《「婆さん、羽織をお出し」
 と、落語では大家はおおぎょうにそう言って、出陣でもするようにかけあいごとに出かけてゆく。
 つまりは羽織は、単なる借家人ではないという身分のしるしなのである。同時に、かけあいの相手に対し、きょうは公人として来た、というしるしでもある。》
 司馬遼太郎『この国のかたち』の中の一節である。
 長屋の大家というのは、実は熊さん、八っあんと同じ借家人に過ぎない。借家人の一人が土地家屋の所有者から家賃の徴収や店子の面倒を見ることを任されているだけことだ。
 しかし、その大家が羽織を着ると変身する。単なる長屋の年嵩の借家人が公事方担当者になるのである。

 なにが言いたいかというと、当時は羽織というユニフォームを着ることで着た人間に責任が生じ、それを本人も他者も公認したということなのだ。こういった効能が日本の風土の中に培われてきたのである。
 現在の自治体でのユニフォーム着用というのは、そういった歴史的事実があるということを踏まえて地方公共団体の制服の是非を議論しなければならない。