美空ひばり

 土曜日の夜、「美空ひばり 甦る昭和のかっさい」というスペシャル番組を見た。その中で息子の加藤和也が証言している。
「昭和63年4月11日の東京ドーム公演の控え室は病室のようだった。ベッドや酸素吸入器が準備され、母は幕が開く直前までそのベッドに横たわっていた」
 両側大腿骨骨頭壊死、慢性肝炎のひばりはそれでも幕があがれば毅然としてステージに上がり、39曲を歌いきった。病みあがりというか病んでいる状態なので、ひばりは歌い終わるとゼイゼイと肩で息をしている。観客に語りかける言葉も途切れがちだ。
 しかし、そんな苦しいステージでも歌は見事だった。「息継ぎ音」など一切聞かせないのである。ひばりがいつ息を吸うのかわからない。まさにプロの歌唱がそこにあった。
 ひばりと比較するのではあまりにかわいそうだが、平原綾香一青窈はもう少しひばりの歌い方を学んだほうがいい。息継ぎだらけの歌しか歌えない歌手など素人と言ってもいい。
 プロの歌手、ひばりはそれから精力的に全国ツアーをこなすのだが、ついに九州の小倉で力尽きわずか10ヶ月で再入院し、その4ヶ月後に52年の短い人生を終えるのである。
 さて、ここだ。
 ワシャは今ひばりの人生を短いと言った。言ったが、それはあくまでも時間的に短いということである。空間的にはどうか、と言えばひばりは同時代の誰よりも濃密で広がりのある人生を過ごしたと言えるだろう。生涯レコーディング数1500曲(内オリジナル曲数517曲)、出演映画数162本、9歳でデビューして52歳まで全速力で駆け抜けた美空ひばりの人生は実に有意義であった。

 14歳のときのひばりへのインタビューが残っている。
Q「学校のほうはどうしてるの?」
ひばり「今、中学2年だけどほとんど行けないもの、先生に家まで来てもらって習ってる」
Q「サインの仕方を誰に教えてもらったの?」
ひばり「アチャコさんに見本を書いてもらった。」
Q「オヤツは毎日たべるの?」
ひばり「ご飯は毎食1杯きりだけど、お三時は大抵食べる」

 お三時はパンにジャムをうんとつけて食べるのだそうだ。かわいいじゃないか。
 そうそう、今月号の「大人のウォーカー」には特別付録で「美空ひばり 想い出のファンBOOK」がついている。早速、買いにいかなきゃいけない。