続 子育てについて その2

 もう一つ例を挙げる。
 農業を営む知人がいる。知人といってもすでに80歳を越すご年配の方だ。その方が、3人の息子についてこんな話をした。
「長男は優秀だったな。学校でも常に首席で、わたしも鼻が高かった。次男は運動神経がいいんだな、県でも上位の短距離の選手だった。それに長男ほどではなかったが勉強も良くできた。二人とも素直で親の言うことをよく聞くいい子だった。最終的に国立大学までいって、長男は東京で、次男は仙台で大きな家を立てて家族とともに幸せに暮らしている。ところが三男がバカだった。二人の兄に比べると勉強はまったくできないし、やれといってもやらない。素行も悪く、近所や学校に何度も謝りにいったものだ。結局、三流高校を中退してぶらぶらしていたから首根っこを押えて連れかえって、百姓を手伝わせたが何をやらせても愚図でのろまで、三男のだらしのない寝顔を見ていると、情けなくなってきてかみさんと泣いたものだった。それでもさ、その三男は、今でもここにいて、相変わらず要領は悪いがこつこつと田畑を耕し家畜の世話をしている。何年か前には器量はぱっとしないが気立てのいい嫁をもらい、孫までできた。結果とすれば、家を出ていってしまった二人の息子より三男坊主の育て方のほうが正しかったってことだな」
 子育てというものは、これらの例のように軽軽に良否を判断できるものではない。だから子どもの一挙手一投足に一喜一憂するのではなく泰然と構えていればよろしい、と思うのだがいかがなものか?