続 子育てについて その1

 引き続き子育てについて考えている。子育ての結果を親が知ることができるのか?ということをである。
 親が子に施す子育てというものは、その子が幸福な人生を、あるいは意義ある人生を全うしたときにこそ、完成するものではないだろうか。とすると、子どもが通常の寿命を生きれば、間違いなく親のほうが先に彼岸にゆくのだから、つまり子育ての良否は親が知ることはできないということになる。
 例えば、織田信長である。彼の父、織田信秀は信長が19歳の時に死ぬ。その頃の信長を見て信秀は「おれの子育ては正しかった」と思っただろうか。このころの信長の乱行は甚だしく、「信長公記」では傍若無人の振る舞いが多かったと伝えている。事実、傅役の平手政秀は信長を諌めて自刃をしている。平手は信長の育て方の責任をとったのである。つまり19歳の頃の信長を見ても、まともな人間には見えないわけで、信秀としても「子育てをしくじったかな・・・」と思っていたに違いない。
 だが信長、只者ではなかった。大うつけは天下をその手中に治めるべく、丁丁発止の活躍をして日本列島中央部の覇者となる。周辺の国と小競り合いをして尾張半国の主としてその人生を終えた信秀から見れば「さすが我が息子である。わしの子育ては間違ってはいなかった」と言うだろう。
 ただ見方を変えれば、信長はその天下布武の過程で大殺戮を執行した。比叡山しかり長島しかり・・・こんな独裁者、大悪人を育ててしまったということは、子育ては失敗だったと言うこともできる。
(「続 子育てについて その2」に続く)