堺屋騒動 その2

 堺屋は言う。
「会場が狭い。会場を海上の森南側の土砂採取場まで拡張しろ」
「高さ100mの外国館を建設しろ」
「目玉としての1ヘクタールのスクリーンと100万人収容の巨大野外劇場をつくれ」
 過激である。だが、市民文化祭の延長のような愛知万博計画にずっと閉塞感をもっていた人間には、ようやく万博らしくなってきたなと思わせるインパクトがあった。またこの堺屋案についてはトヨタが財政的なバックアップを保証していたのである。堺屋の言い方は傲慢だったが、やってやれない計画ではなかった。
 しかしこの堺屋爆弾に愛知県の腰が引けた。元々愛知県人は変化やチャレンジを嫌い、手堅さを美徳とする県民性を持っている。それに知事が神田真秋という色合いの薄い調整型の人間だったこともあって、計画は消極策のスパイラルに入りこんでしまった。
 結果として、万博の意義や夢などというものはかなぐり捨てられ、とにかく中止にしないことが大目標となってしまった。県のこの選択で愛知万博は万博でもない環境博でもないどっちつかずのイベントになってしまった。良かろうが悪かろうがやるならば徹底してやらなければ面白いものなどできないですよ。国にもいい顔をして、市民団体の意向も汲み取り、地元財界へも揉み手をして、それでいいものができるはずはない。
 リニモで何時間待たされようが、弁当が買えなくてひもじい思いをしようが、整理券が手に入らず象頭の干物が見られなくても、怒ってはいけない。これらの経緯を見れば万博教会に端からやる気なんかないんだから。
 万博協会は思っている。
「とにかく中止にならなくてよかった。苦情や不満は多少でるだろうが、頭を低くしていれば9月25日には終わっちまうんだ。終わってしまえば、後は野となれ山となれ、後ろ足で砂をかけてはいおさらばよ、てなもんだ」
 はたしてこれでいいのだろうか・・・